全国の通信記事
2015年2月15日号
坂口映徳師の帰山報告式
【岐阜】三行 坂口映徳師の帰山報告式が 二月十五日、美濃市常唱寺(坂口慈幸住職)で行われた。五人の行僧や壇信徒、稚児四十人らと市内を行列で歩いた後、本堂前で水行式を行った。映徳師は「三回目の荒行を終えて、二回目までは、ついて行くのが必死でしたが、今回は優しい心で修行に取り組めた。苦しみの先には必ず幸せがあるということを伝えて行きたい」と決意を述べた。
初行金原廣貴師の帰山報告式が 二月二十二日、瑞浪市一乗院(金原廣秀住職)で行われた。六人の行僧や壇信徒、稚児らと山内日蓮聖人像から本堂前までを唱題行脚で練り歩いた。その後水行式、帰山報告式を務め上げた廣貴師は「先輩僧や同行僧に助けられ、壇信徒の皆様に励まされ成満を迎える事ができました。これからは皆様への御恩をお返しできるよう精進致します」と決意を述べた
2014年10月12日号
岐阜・平成26年度岐阜県宗務所護法団参
【岐阜】宗務所(高木秀明所長)は、10月12日から14日の2泊3日で池上本門寺お会式護法団参を行い、定員100名に対し僧俗・檀信徒132人が参加した。
平成26年度の宗門布教方針に則り、『立正安国・お題目結縁運動』を掲げ僧俗一体となる為、異体同心の心の育む意味も込めての護法団参の開催を行った。
1日目は、東京・大本山池上本門寺(酒井日慈貫首)を参拝し、先ずは大堂にて御開扉参拝を行い、本殿にてお会式法話を拝聴し、大客殿・松濤の間にて酒井貫首による御経頂戴と御親教が行われ、夕食後一行は御廟所まで唱題行脚し、高木所長導師により法味言上し、所員による御廟所・御荼毘所・本山大坊本行寺の縁起・沿革が説明された。
大坊本行寺参拝後、大堂前にて万灯練行列を見学し、参加者は本来のお会式の姿を知った。
2日目は、午前8時より大堂にて御正当臨滅度時大法要に参列し宗祖の御遺徳を偲び法要後境内地を散策した。
その後、静岡県焼津市の宿泊先に場を移動し、前日のお籠りの疲れを温泉で癒し夕食会では僧俗共に懇親を深めた。
3日目は、清水市・本山海長寺(菅野日彰貫首)を参拝し、祖師堂にて菅野貫首御導師により御開扉法要を厳修し縁起も交え法話がなされ、檀信徒は聞き入っていた。
その後、焼津市内で昼食を摂り、さかなセンターを見学し2泊3日の護法団参の全行程を終え無事帰路についた。
2014年5月15日号
第2回全国日蓮宗青年僧 中部結集岐阜大会
【岐阜】全国日蓮宗青年会では毎年全国各地で結集大会を開催し、各々が研鑚し合って参りました。本年は5月15日(木)・16日(金)に「第52回全国日蓮宗青年僧 中部結集岐阜大会」が開催されました。
会場となった岐阜のシンボルともいうべき岐阜城(稲葉山城)の歴史は古く、建仁元年(1201年)二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まりとされています。戦国時代には、斎藤道三の居城、織田信長から「美濃を制する者は天下を制す」と謳われ、天下統一の要所とされた場所です。しかし、実状は、その裏で多くの武将からの攻撃により数々の落城を経て、当時の物は城址の石垣を残すのみとなっています。この岐阜城を制してきた武将達には法華経の信仰者が数多く、その家臣や側近達もまた同じ信仰者でした。岐阜城落城の際には、ある者はお題目を唱えて討死し、ある者はお題目を唱えながら池に身を投げたそうです。また、近代では昭和20年(1945年)7月9日、第2次大戦中に大規模な空爆を受け、家屋は焼き払われ多数の死傷者を出しました。
今大会では14日(水)に全日青第30代・小泉輝泰会長を含む代表者5名による岐阜城金華山「題目塚」での戦没者慰霊法要、15日には青年僧265名による唱題行脚(岐阜市内)が行われました。全国から265名以上の青年僧が行脚することは、岐阜県では初めてのことです。街ゆく人は足を止めて手を合わせ、異体同心に一心に行脚する青年僧の姿を目に胸に焼きつけているようでした。翌16日には岐阜グランドホテルにて代表者会議と総会を行い、今大会が無事閉会されました。



















