全国の通信記事
2022年3月30日号
神奈川2・母校に交通・防犯蛍光ベスト寄付
【神奈川二】令和二年初頭から拡がったコロナ禍において、大泉寺修徒椎名博貴は、令和三年度において母校初声小学校PTA会長を受けました。今年度も活動制限や自粛などによって思い通りの活動ができない一年となりました。できることは、数年前から行っている活動を継続していることで登校日の朝には、蛍光ベストを着用し往復一時間ほど通学路を歩き交差点に旗を持って立ち、子どもたちに犠牲者がでないように見守る活動しか出来ませんでした。
近年母校周辺は、個々の開発により大型店の出店や道路の開発だけが先行し、交通量は増え、信号無視や特に二輪車の暴走行為、通学路であってもスピード出す車や信号の無い横断帯では子どもたちが安全に渡ることができない状況下であり、いつ事故が起きてもおかしくない状況、子どもたちの安全確保が全くされないまま登下校している。その中で先生や保護者、地元ボランテイアが見守っていられる方々も怪我が無いよう、何かできないかと考え、交通見守りや災害時には目立ちやすいようにと考え、蛍光ベストを全ての教員等が着用できないかと考えました。
今年度は、圓徳寺住職村山智洋上人がPTA副会長並びに三浦市PTA連絡協議会会長を務めていただき、相談をした結果、同宗派で同地域にあり初声小学校卒業生の實相寺住職植坂泰雄上人、延壽寺修徒大森太朗上人にも声をかけさせていただき賛同を得て、地元で悲しい事故が起きないよう、また災害時等にはベストの色によって役割がわかりやすく指示や伝達がしやすいよう蛍光ベスト三色を用意し、この度初声小学校へ三色合計五十枚寄付するはこびとなりました。
本来昨年末にお渡しする予定でしたがウイルスの行動制限により、3月30日に贈呈の運びとなりました。
2022年3月26日号
大阪三島 佐渡島霊跡参拝
【大阪三島】大阪府三島宗務所(阪田兼光所長)は3月26日(土)~28日(月)に佐渡島霊跡参拝を行った。参加者は僧俗合わせて30名。今年は法開顕の書である如来滅後後五百歳始観心本尊抄の御述作750年の記念の年のため佐渡島の三本山への参詣を行った。
初日は新幹線やジェットフォイルに乗り継ぎ移動の1日となった。
2日目は月氏国へと御相貌を向けられている佐渡日蓮聖人大銅像に参詣、その後、阿仏房日得上人御屋敷を起源とする本山妙宣寺、聖人の赦免が伝わる矢島・経島、人開顕の書である開目抄御述作の本山根本寺へと参詣した。
3日目は残念ながら昨年12月6日に4棟を焼失された本山妙照寺へと参詣し、今回参加が叶わなかった各寺院や檀信徒からの見舞いも含め早期の復興を祈念した。
参加者からは3本山への参詣が叶い、一生の記念になったとの声が寄せられた。
長崎 第2回原城一揆死没者慰霊祭
【長崎】去る3月26日。長崎県南島原市 良国寺(楠本 霅昇住職)は、近隣日蓮宗寺院有志と共に南島原市 原城址ならびに市内葬儀斎場において第2回原城一揆死没者慰霊祭を行った。
今でこそ原城址は、世界文化遺産に登録され観光地となっているが、12万5千人の幕府軍勢によって、原城に立て籠もっていた反乱(ほぼ農民)軍3万7千人余りの人が非業の最期を迎えた城でもある。この戦により両軍合わせて約4万人の人命が失われ、農民一揆として外に類を見ない大惨事となり、のちに「島原の乱」と呼ばれるようになった。
当日はあいにくの天候ではあったが、檀信徒・市内外民ら約50名が参列し、原城入り口より、当地一帯に散乱していた遺骨を集め納められた「ホネカミ地蔵」前まで唱題行脚・献花が行われ、その後葬儀斎場「ありま斎場」へ場所を移し慰霊法要。天候が回復したため供物並びに10万枚のお題目写経が、島原の乱にて投身した眼前の有明海へと散舞された。
楠本住職は最後に「この地に住む者の責任として、歴史的事実は厳粛に受け止め、慰霊は続けていかなくてはならない。信仰者の1人として今の時世を鑑み、もう一度考え直していきましょう」と挨拶。
歴史に「たら」「れば」はありませんが、信仰者として・宗教者として、今の世情を改めて考え直さなければならないと痛感した。