論説
2023年8月1日号
絶対平和の唱題運動を進める時
■日蓮聖人身延御入山750年
今年は日蓮聖人が身延山に御入山なさって750年になる。
その慶節の日の5月17日、身延山には日蓮宗青年僧250人による勇壮なる撃鼓唱題が響き渡った。
当日行われた宗門の慶讃法要に、全国から参集した青年僧たちが、身延山の門前町通りを撃鼓唱題行進し、菩提梯を登って本院に至った。さらに入山会の大法要にも撃鼓唱題し、日蓮聖人に報恩の誠を捧げた。身延山は撃鼓唱題で感激のるつぼと化したという。身延山の日蓮聖人は、さぞかしお悦びになられたことであろう。
■世界平和・仏国土顕現の誓願
佐渡から鎌倉に帰られた日蓮聖人は、4月8日に平左衛門尉に会って、「蒙古は今年中には攻めて来るであろう。法華経の祈りでなければこの国を救う道はない」と進言されたとある。
しかし幕府はこの聖人の進言を容れることはなかった。「三度諫めて容れられずんば去れ」との古来の教えに従って、聖人は身延山へお入りになられた。
身延山へお入りになる道すがら、佐渡で完成された法華経信仰の三大秘法、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇についてお考えになり、身延山に到着するとそれを『法華取要抄』として著されている。つまりお題目により世界平和・仏国土の顕現を目ざし、人類の救済を目ざすことを確認されている。
身延山に到着された聖人は、東天が開けていて大日天子を拝める場所を選ばれて、御草庵の処を定められた。
身延山第15世行学院日朝上人の『元祖化導記』によると、聖人は持仏堂での朝勤の後、毎朝「日天の御前に於いて」唱題読誦をされたとある。世界の平和、日本の平和、仏国土の顕現を祈ってのことであったと思う。
■世界一の法華経の行者
聖人が身延山へ入られたその年の10月、蒙古が日本に襲来した。つまり文永の役である。『立正安国論』で予言された「他国侵逼難」が現実化し、聖人の予言がすべて的中したことから、聖人は『撰時抄』を著作し、そのなかで「日本第一の法華経の行者」から「閻浮第一(世界一)の行者」としてのご自覚をお示しになられた。まさに世界の柱、世界の眼目、世界の大船となられたのである。
いま私たちは世界一の法華経の行者を奉っている。戦争があり疫病が流行し、天災地変が続き軍拡競争が始まっている不安な現代世界を救ってくれる柱を見失ってはならない。日本の仏法のお題目は、今や世界を救う仏法である。日本の誓願、世界平和・核兵器廃絶も、世界の仏法で祈ることでより力が入る。
■石橋湛山先生の没後50年
日蓮聖人身延御入山750年に合わせたように、今年は石橋湛山先生の没後50年を迎えた。
政治家であり、日蓮主義者であり、世界平和主義者であった湛山先生は、数々の貴重な意見を遺されている。
当時の『大崎学報』に寄せられた文に、
「(現代の世の中)全体が、実に重大な危機に立っていると思われる。愚案によれば、宗祖に帰る以外にない。言葉をかえれば、宗祖を現代に生かしまいらせることである。もし、宗祖が今日在世ならば、いかにせられたか、これこそわれわれの考えなければならないことである。それはただ宗門をよみがえらせるだけの方法ではない。まさに日本を、そうして世界を救う道である」
とある。
今や世界の仏法・絶対平和の唱題運動を進めていく時である。
(論説委員・功刀貞如)

2023年7月20日号
どうする宗門後継者
日蓮宗総本山身延山久遠寺がある山梨県身延町の人口は、現在、約1万人ほどである。昭和23~24年頃のピーク時には、4万人いた人口が右肩下がりで減少し、35年後には3600人になるという。一昨年度の出生者数は27人。生産年齢人口は約4千人強。身延山の門前町の老舗饅頭屋や旅館も後継者がいないということで店をたたんでしまった。この傾向は今後も続くことが予想される。
日本全国の多くの農山漁村地域では過疎化(身延町・南部町・早川町も過疎地指定)が進み、産業・教育・医療など、その地域における基幹的生活条件の確保に支障を来すような状態になっているという。昨年、過疎地域の数は885の市町村となり、初めて全国の5割を超えたと総務省は発表している。
この事象は、他人事ではない。コロナ禍での宗教儀礼簡素化(例=1日葬の増加、7回忌以降法事の減少)という新たな状況も加わり、少子化による後継者不足は日蓮教団、否、仏教界にとって今後ますます見逃すことのできない大きな課題となってきている。今、全国に仏教寺院は7万7千ヵ寺あり、そのうち住職がいない寺、代務住職の寺は1万7千ヵ寺を数える。15年後には空き寺を含めその数は2万7千ヵ寺になるという。
日蓮宗では、日蓮宗の僧階を得、住職となるためには35日間の必修修行、「信行道場」を修了しなければならない。身延山では今年4回(期)(第4期は外国籍を有した者のみの道場、初めての試み)の信行道場が開設され、修了と同時に僧階が叙任される。新たな日蓮宗教師の誕生ということになる。ところが、ここ10年ほど年間を通して修了者が100人に満たない状況となっている。団塊世代の末に生まれた筆者は昭和48年の夏に第2期信行道場へ入ったが、入場者は156人であった。
また年間総計100人以下の入場者にあって、宗門の僧侶養成機関である立正大学あるいは身延山大学の仏教学部に在籍・卒業者は5割を切っている。両大学仏教学部で所定の僧階を得るための講座の単位を取得した者、卒業した者には無試験検定資格を有して信行道場へ入ることが許される。確かに、日蓮宗宗制では試験検定に合格することが本筋ともいえるが、一番合格率の高い乙種普通試験のみを受け、信行道場のみで修行を終える僧侶(教師)が増えているという。
この状況は致し方のないことともいえる。少子化社会、後継ぎがいないという時代にあって、門戸は広くして僧侶の数を確保し、教団を支える、地方を支えるという考え方は首肯できる。寺の収入だけでは生計が成り立たず他の職業を兼ねながら必死に寺を護持するという住職の真摯な姿勢には本当に頭が下がる。また地方の日蓮宗寺院過密地域では代務住職を数ヵ寺兼務することも多い。
他方、信行道場を出た若い僧侶が志高くしていざ郷里へ帰っても、その地域が過疎化で生計が立ち行かない、あるいは檀信徒の教化、地域への社会貢献といっても人が存在しないからままならない、というケースがあることも仄聞する。
宗門後継者不足への対策例をひとつ考えてみた。仏教、日蓮学に興味を持ち、身延山大学へ社会人(一般企業のOB、小企業経営者、福祉施設経営者など)として編入学し、まさかと思ったが信行道場へ入り、今では立派な僧侶として活躍している人も数人存在する。このような法華篤信の人たちを悠々自適の生活が送れる過疎地へ派遣しては如何だろうか。ますますの少子化社会の到来に、どうする宗門後継者。 (編集委員・浜島典彦)

2023年7月1日号
いのちのつながりに寄り添う供養を
令和4年の出生数は、統計以来、初の80万人割れの79万9728人、一方、死亡数は158万2033人(ともに速報値)と統計以来最多となる。昨年度だけで日本人口の約78万人が減少、これは中都市の総人口に匹敵する数だ。まさに今、日本は高齢化社会から多死社会に向かっている。
核家族の時代が過ぎ、単身世帯3割、2人世帯3割、1人世帯とその予備軍が6割を占める日本社会。人口減少は社会的にも寺院にとっても大きな影響を及ぼしている。親戚や近所・知人関係などで営んできた葬儀や法事も、今後は夫婦や施主のみで行う傾向が強まる。弔い上げも短い年回忌で終了し、数霊合同で簡略に年回供養を営む。コロナ禍では、通夜のない1日葬、火葬のみの直葬が増え、枕経―通夜―葬儀―初七日という従来の葬儀内容が変化した。
そんな中、一昨年の秋、信徒のTさんが60代半ばで亡くなった。大腸がんの検診を受けてわずか1年後だった。コロナ禍だったため家族と親戚だけでの葬儀だった。通夜を済ませホテルに宿泊した翌朝、葬儀会場に行った。驚いたことに前夜まで真っ白だった棺に絵や文字が全面に描き込まれていた。遺族が徹夜で書き上げたものだった。棺の蓋には故人が好きだったヒマワリが描かれ「we love you thanks from your family」と書かれていた。棺の側面には「お母さん あなたは私たちの誇りです。ありがとうございました。またね」と子どもからは感謝の言葉、「またあそんでね」と孫からのメッセージ、「早すぎるやろー」と兄弟からは無念の言葉が綴られていた。黄色で描かれた大輪のヒマワリと色鮮やかな群青色の文字。最愛の家族を失った哀しみを乗り越えるかのように生き生きと表現されていた。喪主からは「心のこもった読経でした。私たち家族も心1つで供養することができました」と挨拶した。
「供養」とは「供給資養」の略語。供給は食べ物や飲み物をはじめ香りや花などを献げること、資養は仏神や祖霊に敬意や感謝を示すとともに自らの心を養うことの意味。家族愛で包まれた棺の前で、皆で法華経を読誦しお題目を唱え、故人を無事霊山浄土に送ることができた。葬儀や法事は、自身と亡き人との繋がりを示す縦糸と、久々に再会する親戚や知人という横糸との交差点。縦糸と横糸との繋がりに自分の命の存在を確認し、先祖からの命の繋がりを自覚するところにその意義が見い出せる。簡略化という社会の風潮に流されずに、葬儀や法事の意義を理解し、次世代に伝えて欲しいと願う。
最近、「弔い直し」の供養が話題となっている。コロナ禍で葬儀ができず、火葬のみ行ったことがきっかけだ。亡くなる前に見舞いに行けなかった人、臨終に立ち会えなかった家族が、納得できる看取りや葬儀ができず、故人の死を実感できないという。コロナ禍で最小限の直葬をしたものの、故人の死を受け入れられず、数年経っても「喪失の苦しみ」が残るという。
弔い直しの多くは「お骨葬」が行われる。従来の葬儀の形態にとらわれず、どれだけ遺族の哀しみに応えられるか。法要中に故人が好きだった音楽を流したり、焼香の代わりに献花、モニターで故人の思い出シーンを紹介したりと明るい雰囲気で法要が営まれる。また伝統的な年回忌の数にこだわらず自由に「偲ぶ会」で、弔い直しが行われている。
大事なのは、お題目の教えを基軸としつつ、依頼者の要望を十分に尊重し、従来の形式にこだわらない柔軟な対応を取ること。何より依頼者の哀しみに寄り添う心を持つことである。ライフスタイルが多様化した今、血縁のない繋がりの供養、友人同士やLGBTQ+カップルが入れる墓などが求められると聞く。「一切衆生皆成仏」を説き、「いのちに合掌」を推進する日蓮宗であればこそ、あらゆるニーズの供養に応えられると確信している。(論説委員・奥田正叡)
