論説

2013年8月20日号

富士山にまつわる伝説

文化遺産として世界遺産登録
去る6月22日、ユネスコ世界遺産委員会は、富士山を信仰の対象、芸術の源泉として、世界文化遺産に指定しました。
かねてより静岡県、山梨県の富士山周辺の8市6町は、協同して富士山の世界遺産登録に向けて運動を行ってきました。
前回、自然遺産としての指定を望んだのですが、ゴミや排泄物の処理が問題となって、指定が見送りとなる結果になってしまいました。
今回は文化遺産として登録され、リベンジを果たしました。
富士山は古来から人々に親しまれ、色々な伝説が生まれました。そのいくつかを紹介しましょう。

孝霊5年御山誕生、徐福渡来
孝霊5年(紀元前286)、明日香村に突如として富士山ができたとの伝説です。富士山が盛り上がる代わり、琵琶湖が陥没したという伝説となっています。これは、江戸時代の庶民の常識でした。
また、富士山の麓には、秦の始皇帝が不死の薬を求めに遣わした徐福がやって来たとの伝説もありました。江戸の川柳を見てみますと、
大変なことは孝霊五年なり
孝霊五年あれをみろあれをみろ
孝霊の前は名の無き明日香村
時知らぬ山を尋ねて徐福来る
薬取り始皇待てども暮らせども
奉聞に近江が済むと駿河出る
万年雪で人が登らない山
親神が子供の神達のもとを訪れ、泊めて欲しいと頼みました。福慈(ふじ)の神は、物忌みしているから泊めることは出来ない、と拒否しました。
筑波の神は物忌みはしていましたが、親神を泊めてやりました。以来、福慈の山にはいつも雪が積もっていて、人が登れないようになり、筑波の山には人が集い、歌を歌い宴会をやる賑やかな山になったと言うことです。
(『常陸国風土記』700年頃)
6月15日、雪は降り代わる
富士の山には、一年中雪が積もっていますが、6月15日の夜半に、前の年の雪が新しい雪に降り変わると考えられていました。(『駿河国風土記逸文』700年頃、『万葉集』巻三、700年頃)
聖徳太子富士登山伝説
聖徳太子は、ある日、甲斐の国から献上された黒い馬に乗り、お供に馬丁の調使麻呂(ちょうしまろ)を連れて、雲に駆けって富士山の頂上まで登り、その後、甲斐の国、越前・越中・越後の国を経て奈良に帰ったと言うことです。二泊三日の行程でした。
(『聖徳太子伝略』917年)
富士山人穴地獄伝説
新田四郎は主従5人で、松明をつけ人穴に入っていきました。狭い穴を、水に足を浸しながら、<RUBY CHAR=”蝙”,”こう”><RUBY CHAR=”蝠”,”もり”>が飛び交う中を進んで行きました。
新田は、浅間大菩薩の御在所に行き着きました。そこで地獄・極楽を見せてもらいますが、見た事を口止めをされます。この禁忌を破ったため、郎党4人は死に、新田四郎もまた同じ災厄に遭うことになります。
(『富士の人穴草子』江戸時代)
(論説委員・丸茂湛祥)

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2013年8月10日号

編集権ってなに?

編集権、一般にはあまり聞かれない言葉でしょう。編集権とは文字通り、編集する権利のことです。テレビの報道番組や新聞は取材をしますが、時間的制約や文 字数の制限もあり、取材したものの全部を報道できるわけではありません。そこで取材内容の全体を表すように、一部の情報を編集して、一般の視聴者・読者に わかりやすく説明します。これが本来の編集権のあり方なのですが、実際には異なる使われ方をしています。
昔、地域で起こったある問題について、ある関東のキーテレビ局の取材を受けた時の話です。インタビューを受けている間、気になることがありました。取材 者が意図的にある方向に話を導こうとしているのです。その点を取材が終わった後、担当のディレクターに質問しました。すると、彼の答えは「実は私たちの結 論は決まっています。それを言うために取材をしています」そして、その結論と私の意見は異なっていました。そこで「では、たぶん私のインタビューは没(放 送されないこと)ですね」と聞くと、そのディレクターは言い難そうに「ええ、まあ」と肯定しました。つまり、結論は予め決まっており、その結論を補強する 取材を行う、そしてその目的に沿わない情報は削除するというやり方です。これでは、事実の報道ではなく、取材者側の意見の表明です。
インターネットのユーザーから、このような大手マスコミ、特にテレビの報道に対して批判が続いています。「これは事実ではない。自分の意見に基づいた偏 向報道である」これに対し、報道側は「自分たちの報道は、取材した内容を報道しているのだから事実である。さらに全体像を伝えるために編集を行うのは報道 側の権利である」と反論しています。この報道側の主張には一部無理があります。それは報道されているのは事実の全部ではなく、一部であり、その一部をどこ から何を選ぶかはすべて編集者の判断によって決められているという点です。
最近、インターネットで政治家がインタビューを受ける番組が多くなってきました。この番組では、編集は行わず、インタビューのすべてが放送されます。テ レビでは、30分のインタビューで放送されるのは、1分です。政治家たちは自分達の発言が、テレビ局による編集によって自らの意図とは全く異なる内容の話 として放映されてしまうとして、ネットでのインタビューを積極的に利用しています。つまり、彼らはテレビ局を全く信用していないのです。自分達の発言がテ レビ局に利用されていると考えているのでしょう。
取材の前に、仮説を立てるのは、悪いことではありません。しかし、それに固執してはならないでしょう。取材の後、仮説が全く否定されてしまっても、それ を受け入れる度量が必要です。また、自分の考えと異なる主張も報道し、それに対し、自分の意見を意見として、述べることが必要です。それによって、報道は 正しく見て、正しく伝えることができ、多くの人たちから信頼を得ることができるようになるでしょう。
これは私たちにも当てはまります。私たちは人と話す時、その人にあるイメージを持っています。「この人はいい人だ」「この人は難しい人だから気をつけよ う」その人との話はすべて、そのイメージから離れることができません。最後までそれに引きずられて、本来の姿を見ようとせず、自分の持つイメージの中で理 解をしようとします。仏教は正しく見ること、「正見」を教えの根本に据えています。偏見に囚われることは仏教の戒めるところです。「自分が見ているのは真 実の一部である」この謙虚さが物事を正しく見る第一歩になるでしょう。

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2013年8月1日号

お盆と子どものこころ

今年もお盆の時節となった。東京都心部などでは7月にお盆の行事が営まれるが、全国的には8月のお盆が一般的であろう。
実際「お盆休み」で会社や商店が一斉に休みとなり、故郷への大移動が見られるのは8月のお盆の頃である。多くの仏教行事の中で、これほど生活に密着し、市民権を得て全国的に定着したものは少ないだろう。
この盆休みには故郷のご先祖の墓参りをし、家では精霊棚を飾り、迎え火を焚いてご先祖を迎える習慣もしっかり受け継がれている家庭も多い。久しぶりに顔 を見る孫たちとともに、家族でキュウリやナスで馬や牛を作りながらお盆の話を語るのも年長者の役割でもあろう。もちろんそこでは、ご先祖さまが帰ってくる という話も自然に出てくることだろう。

帰ってきた、おじいちゃん
それは、ある棚経での出来事であった。その家ではご主人が亡くなって初めて迎えるお盆である。奥さん、子どもたち、そして孫たちが集まって、お経の始ま る前のお茶を飲みながらのひと時、初めて迎えるお盆の飾り方やお供えのことなど、それぞれに自分の考えや経験を言い合って、てんやわんやの大騒ぎである。 その挙句「お上人さん、これはどうしましょう?」ということで、一件落着である。
棚経ではしばしば体験することだが、どこかほほえましく、ほっとさせられる光景でもある。もちろん、そこでは亡きご主人の思い出話に花が咲く。そしてお となたちは、話の輪の中にいる2歳過ぎの孫に、お盆には大好きだったおじいちゃんが帰ってくるという話をしていた。このしっかり者の女の子は、ことばも達 者で、その姿はおとなと対等である。そしてこれからお経が始まろうというその時を見計らったように、玄関のチャイムがピンポ~ンと鳴ったのである。すると 間髪を入れずその子は「あッ、おじいちゃんだ!」と言うやいなや玄関へ突っ走り、おじいちゃんをお迎えに…。すると玄関には、おじいちゃんならぬ宅配便の おにいさんが立っていたのである。この時のこの子の心中は察して余りあるところである。
この子にとってみれば亡き最愛のおじいちゃんは、もう会うことのできない存在ではなく、また帰ってくる人であり、今日のお盆こそ帰ってくる日なのであっ た。この「おじいちゃんだ!」というひと言で、その場は一瞬時間が止まったようであった。その場にいたおとなは全員このことばに引き込まれてしまったの だ。「えッ、まさか」と感じさせるほどの絶妙のタイミングでの、玄関のチャイムと2歳児のひと言であった。

素直なこころ
多くの子どもたち、あるいは私たちおとなもまた幼い頃の体験として、似たような思い出を持つ人もあるかもしれない。
私たちは、亡き人とこころのつながりを持ち日々を暮しているが、その原点は子どもの頃の純粋で素直なこころにあるのではないだろうか。
法華経の如来寿量品第十六には「質直にして意柔軟に、一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず…」とある。つまり私たちは、こころ素直に、一心に仏に会いたいと、自らいのちをも惜しまず願うならば、仏さまはその姿を現すのである。
私たちおとながしだいに忘れがちな純粋なこころ、素直なこころを小さな子どもは教えてくれている。
お盆休みには、ご先祖を迎え、そして供養することの意義と大切さを次の世代に伝えていくことは、私たちおとな一人ひとりの役目であろう。

(論説委員・渡部公容)

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