全国の通信記事
2026年5月24日号
兵庫北 寺院檀信徒協議会合同総会
【兵庫北】令和8年度兵庫県北部寺院檀信徒協議会合同総会が豊岡市日高町立光寺で開催された。5月24日午前10時より同寺本堂にて法味言上後、39名が出席し、昨年度の昨年度の会計報告・事業報告、並びに今年度の会計予算・事業計画などを約2時間にわたって審議した。
2026年5月6日号
兵庫西 愛染明王・不動明王奉迎
【兵庫西】5 月 6 日妙経寺(中村晋立住職)で70名を超える檀信徒が参列し、約400年前、同寺に奉安されていた愛染明王・不動明王奉迎記念法要が行われた。同寺に尽力された方々の遺徳を顕彰し、山門発展と檀信徒の安穏を祈念した。法要後には立正大学名誉教授の中尾堯師により『大塩 妙経寺の歴史と寺宝』と題しての記念講演が行われた。中尾教授は、当時の時代背景と開創以降の同寺の歴史を紹介し、現在との繋がりを語られた。住職は「何年ぶりにお帰りになっただろうか。このふるさとの潮の風を、どのように感じておられるだろうか。」と両明王に問いかけ、さらに「この稀有な出来事に驚いたが、両明王に出逢えて良かった。両明王は、400 年前の出来事が今に繋がっていることを私たちに示された。私たちも 400 年先につながるような生き方をせねばならない。」と述べた。
事の始まりは、令和 7 年 10 月に東京墨田区のすみだ郷土文化資料館において、かつて押上にあった最教寺(現在は八王子、茂田井教洵住職)の仏像や什物の企画展が開催されたことによる。
展示された中の一体の愛染明王が、台座裏銘記から「播州大塩」の「妙経寺」において「住寺安全坊」のもとで「与左衛門」を願主として慶長 7 年に「尊陽院日誉」により開眼された仏像であることが判明。不動明王には銘記はないが面貌や体軀、着衣の表現などが愛染明王像と近似しており、同時期に一具の像として製作されたものと考えられる。
妙経寺(中村晋立住職)では、本願人が酒屋与左衛門であることや、2世が安全院日受上人であることはわかっていたものの、開創年度や由緒、縁起については諸説があった。この両明王の出現で、慶長7年には妙経寺としてスタートしていたことが明らかになったのである。中村住職は、同年6月、資料館からの知らせを受け、同資料館へ赴き再開を果たした。かつて同山に奉安されていた愛染明王・不動明王に出逢い、とても感銘を受け、423年の歳月、妙経寺を守り続けてきた歴代住職や檀信徒と共に、このご縁を喜びたいと考えた。そして、現在祀られている最教寺( 茂田井住職)に里帰りを依頼し、快諾をいただいたのである。
4月22日、最教寺より茂田井住職が愛染明王・不動明王を両手に抱えて妙経寺山門をくぐった。参道では参集の檀信徒がお迎えのお題目を唱え、本堂では地元で活動する「和太鼓衆潮舞」による奉納太鼓により両明王の里帰りを歓迎し、5月6日の記念法要に至った。
2026年4月29日号
滋賀 本像寺法燈継承式・千部会
【滋賀】4月29日、守山市本像寺で第四十五世の藤岡暎邦僧正、第四十六世の藤岡慧明上人の法燈継承式・千部会永代祠堂法要が営まれ、僧侶檀信徒約200人が参列した。式前に新住職、干与人、組寺、式衆、稚児、京都みのり会(まとい、太鼓、篠笛等のお囃子担当)、総代、女性部等の練行列が総代宅から本堂まで行われた。法燈継承式では先ず稚児による御宝前への献花が行われた。稲葉英量宗務所長から辞令伝達が行われ、続いて前住職から新住職に払子が授与された。新住職の藤岡慧明上人は奉告文を力強く読み上げた後、千部会永代祠堂法要の導師も勤めた。最後には宗務所長等の祝辞の後、謝辞では、前住職から「多くの人に支えられた五十五年間であった。新住職には、本像寺修養道場の若い力と一緒になってお寺を盛り上げてほしい」、総代の舟橋光義氏からは「新住職は引き継いだことに益々磨きをかけて、本像寺の護持丹精に努めてほしい」、そして新住職からは「より一層社会と関わり合えるようなお寺づくりに努めていきたい」と、それぞれ感謝の意と共に述べられ、閉式となった。その後、会館(龍華殿)に場所を移し、祝宴が盛大に催された。



















