2013年8月10日
編集権ってなに?
編集権、一般にはあまり聞かれない言葉でしょう。編集権とは文字通り、編集する権利のことです。テレビの報道番組や新聞は取材をしますが、時間的制約や文 字数の制限もあり、取材したものの全部を報道できるわけではありません。そこで取材内容の全体を表すように、一部の情報を編集して、一般の視聴者・読者に わかりやすく説明します。これが本来の編集権のあり方なのですが、実際には異なる使われ方をしています。
昔、地域で起こったある問題について、ある関東のキーテレビ局の取材を受けた時の話です。インタビューを受けている間、気になることがありました。取材 者が意図的にある方向に話を導こうとしているのです。その点を取材が終わった後、担当のディレクターに質問しました。すると、彼の答えは「実は私たちの結 論は決まっています。それを言うために取材をしています」そして、その結論と私の意見は異なっていました。そこで「では、たぶん私のインタビューは没(放 送されないこと)ですね」と聞くと、そのディレクターは言い難そうに「ええ、まあ」と肯定しました。つまり、結論は予め決まっており、その結論を補強する 取材を行う、そしてその目的に沿わない情報は削除するというやり方です。これでは、事実の報道ではなく、取材者側の意見の表明です。
インターネットのユーザーから、このような大手マスコミ、特にテレビの報道に対して批判が続いています。「これは事実ではない。自分の意見に基づいた偏 向報道である」これに対し、報道側は「自分たちの報道は、取材した内容を報道しているのだから事実である。さらに全体像を伝えるために編集を行うのは報道 側の権利である」と反論しています。この報道側の主張には一部無理があります。それは報道されているのは事実の全部ではなく、一部であり、その一部をどこ から何を選ぶかはすべて編集者の判断によって決められているという点です。
最近、インターネットで政治家がインタビューを受ける番組が多くなってきました。この番組では、編集は行わず、インタビューのすべてが放送されます。テ レビでは、30分のインタビューで放送されるのは、1分です。政治家たちは自分達の発言が、テレビ局による編集によって自らの意図とは全く異なる内容の話 として放映されてしまうとして、ネットでのインタビューを積極的に利用しています。つまり、彼らはテレビ局を全く信用していないのです。自分達の発言がテ レビ局に利用されていると考えているのでしょう。
取材の前に、仮説を立てるのは、悪いことではありません。しかし、それに固執してはならないでしょう。取材の後、仮説が全く否定されてしまっても、それ を受け入れる度量が必要です。また、自分の考えと異なる主張も報道し、それに対し、自分の意見を意見として、述べることが必要です。それによって、報道は 正しく見て、正しく伝えることができ、多くの人たちから信頼を得ることができるようになるでしょう。
これは私たちにも当てはまります。私たちは人と話す時、その人にあるイメージを持っています。「この人はいい人だ」「この人は難しい人だから気をつけよ う」その人との話はすべて、そのイメージから離れることができません。最後までそれに引きずられて、本来の姿を見ようとせず、自分の持つイメージの中で理 解をしようとします。仏教は正しく見ること、「正見」を教えの根本に据えています。偏見に囚われることは仏教の戒めるところです。「自分が見ているのは真 実の一部である」この謙虚さが物事を正しく見る第一歩になるでしょう。