論説
2024年1月20日号
能動・積極的な生き方での幸福の希求
新年早々の能登半島地震や羽田の航空機事故など不安を煽る辰年になりましたが、辰はことの始まりとその力を持ち、天地の水を司るといいます。きっと龍神さまがこの不安を洗い流してくれるものと信じます。
災害があると33年前の雲仙普賢岳災害を思い出します。当寺は遺体の検視、安置と救援の最前線に立つことになり、自衛隊、警察、メディアなどへの対応に右往左往しながらも何とか乗り切れました。その後の復興に向けた全国からの支援や奉仕活動には今でも感謝でいっぱいです。
その後の東日本大震災など相次いだ大災害でも多くの人びとが苦しみました。改めて能登の被災者の苦難に心が痛みます。実はひと月前、羽咋市本山妙成寺や気多大社などを参詣したばかりで、余計に被災地の状況が目に浮かびます。犠牲者の冥福を祈り、多くの被災者・被災地の早い復興を祈念するばかりです。
しかし、この能登半島地震の被災者や羽田の日航機の乗員乗客の整然たる避難の姿は、日本人の精神性の高さを示していると感心するとともに安心します。外国メディアがこぞって奇跡と称賛しますが、私たちにとってはいつもそれが当たり前としていかなくてはなりません。
日本人は古来、度重なる自然災害など、不幸にして避けられない国難に果敢に立ち向かい、立ち直っては今日の国家社会を築いてきました。800年前の鎌倉時代がまさにこの天地騒乱の時で、日蓮聖人は不惜身命の法華経信仰と弘通による国家安穏を願われたのです。「我れ日本の柱、眼目、大船とならん」(『開目抄』)はその心意気を示されています。
国家の危機に出現された日蓮聖人は「災来るも、変じて幸と為らん」(『道場神守護事』)の「変じて」は、法華経経文から受け身の変化ではなく、能動的、積極的な生き方による幸福の希求と進化であると教えられています。能登の皆さまも1日も早く前向きに「災害変じて幸いなる」日々を送られることを祈念します。
僧侶や寺院はその先頭に立たねばなりませんが、近年の恵まれた生活でその意識を鈍化させてしまった私たちにはそのリーダーシップを発揮できる人がほとんどいないのが現状であり、残念です。
そんな中で昨年数少ないリーダーだった人材を亡くしました。長崎県西海市實相寺の梶原北天上人です。宗内では宗務所長や宗会議員で活躍し、九州の西の果てから宗門改革に奮闘していましたが、無念の内の遷化でした。しかし宗外のことでは素晴らしい業績を残しました。上人の優しい眼差しは多くの人たちを魅了し、その交際は広いものでした。政治・経済・文化・スポーツ・音楽・芸能など一流の人たちとの交流は地域文化の発展に多大の功績を残したのです。こんな坊さんはまずいません。ことに立川談志、中村八大、永六輔さんなどとの長い付き合いは「田舎だからこそ最高の音楽や芸能を体感しなければ」と、地方ならではの濃密な活動を繰り広げました。私も手伝いながらおこぼれに与かり、天才たちの芸はもちろん人柄に触れて、人間学の勉強を楽しみ吸収しました。「今頃は霊山で八大さんや談志師匠と大宴会をやっているはずだ」と北天上人を知る人はみんなで話しています。
私たちもいずれ参加できるのでしょうが「娑婆即寂光」この私たちの娑婆世界こそがその会場であることは忘れずにいましょう。皆さまも一生に何人かは出会えるはずの人生のナビゲーターを発見し、大事にして下さい。 (論説委員・岩永泰賢)