論説

2024年4月20日号

能登半島地震の教訓

今年の元日の夕方に龍の頭の形をした地元の能登半島が揺れ、大地が裂け、240人以上の死者が出た。ゴゴゴという轟音と共に、ミシミシ、バキッバキッという柱が裂ける音と、立っていられない揺れが続き、収まるどころか、通常の地震ではない異様さと、急激に強くなった南北方向の振動に、無意識にお題目を唱えた。大きな揺れの中で、右の耳に本堂から大きな声でハッキリと「備えよ!」と言われた。もっと前に教えて下さいと心によぎった瞬間、脳裏には今回の能登半島地震ではなく、これからもあるであろう度重なる大地震のことだと悟らされた。大きな揺れの真っ只中で、このような不思議な体験もした。
揺れが落ち着き、真っ先に本堂にいくと、位牌堂の位牌の多くが落下により破損。当山の開山である鍋冠り日親上人の愛弟子であった日賢上人像は倒伏し、両腕が折れてしまっていた。本堂を支える7寸の柱は傾き上下に亀裂が入り、梁の接合部分が崩壊した。また棟瓦、天蓋、瓔珞、木蓮華は落下し、粉々に破損。須弥壇の日朗菩薩像と日像菩薩像、安立行菩薩像だけが無傷のまま安置され、守護神の七面大天女像、大黒天神像、三十番神像、鬼子母神像は難を免れ、県内最古の開運日蓮聖人坐像は御厨の扉だけが開いていた。境内地の春日灯籠や大きな墓石の数多くは、倒伏していた。
当日の午前中、新年祝祷会を奉行し、「三災七難が日本を襲う」という法話をしていたところに、今回の震災に見舞われた。能登半島では全壊、半壊した寺院も多いが、宗門の現職の住職は誰1人として亡くなる者はいなかった。
日蓮聖人のご存命中、鎌倉時代の大地震については、当時幕府が編纂した歴史書の『吾妻鏡』に次のように書かれる。「正嘉元年(1257)戌の刻、大地震、音あり。神社仏閣一宇として全き事無し、山岳頽崩し、人屋顛倒す。築地皆ことごとく破損し、所〃の地裂け、水湧き出る。中下馬橋の辺り、地裂け破れ、その中より火炎燃え出る」と神社仏閣がほぼ全壊したと記されている。
近年の阪神淡路、東北、熊本と続く震災にあって、日蓮聖人の『立正安国論』やご遺文の中に、こうした災害の意味や原因を見出してみると、『災難対治鈔』には、「金光明経に云く、〝もし人ありてその国土において、この経ありといえども、いまだかつて流布せず。捨離の心を生じて聴聞せんことを楽わず、また供養し、尊重し、讃歎せず。四部の衆、持経の人を見て、また尊重し、乃至、供養すること能ず。遂に我等及び余の眷属、無量の諸天をして、この甚深の妙法を聞くことを得ず、甘露の味に背き、正法の流を失い、威光及び勢力あることなからしむ。悪趣を増長し、人天を損減し、生死の河に堕ちて、涅槃の路に乖かん。世尊、我等四王並に諸の眷属及び薬叉等、かくのごとき事を見て、その国土を捨てて擁護の心なけん。ただ我等のみこの王を捨棄するにあらず。必ず無量の国土を守護する諸大善神あらんも、皆悉く捨去せん。すでに捨離し已りなば、その国まさに種種の災禍あつて国位を喪失すべし~略~〟」と書かれている。
次々に巻き起こる国難ともいえる災難には、正法を立てて、立正安国の精神を守り、法華経の種をいただいた私たち1人ひとりが、そのお姿は見えないが、久遠実成の釈尊と日蓮聖人が眼前に生きておられるという自覚と、子息としての立場に立って、その思想哲学、行動理念を改めなければ、「前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし」が現実のものになるかもしれない。今回の地震の体験で、こうした信念を強くさせていただいた。(論説委員・高野誠鮮)

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2024年4月1日号

「いのちに合掌」し共生社会の実現を

日本には16人に1人、総人口の6%が心身の機能に障害があるといわれる。
また障害には個人(医学)モデルと社会モデルがある。個人モデルでは「障害とは個人にあるもの」と捉え、個人の努力や工夫、治療によって解決すべきものと考える。
一方、社会モデルでは「障害は個人と社会(モノ、環境、人的環境など)の間にあるもの」と捉え、社会的障壁は社会側の努力や工夫、改革によって解決すべきものと考える。例えば、車いす利用者は歩行に不自由がある「本人の身体」の障害であるが、通路に階段があれば段差が障害となる。スロープがあれば車いすでも通行できる。つまり障害とは個人の心身機能の障害と社会的障壁の相互作用によって作り出されているといえる。主な社会的障壁は4つある。施設や設備など物理的な障壁、ルールや条件など制度的な障壁、文化・情報面の障壁、障害などに対する無知・偏見・無関心は意識の障壁という。
事例として視覚障害者誘導ブロック、通称・点字ブロックを取り上げる。道路や駅などで見かける黄色い点字ブロックは2種類ある。移動経路や進行方向を示す線状のブロックは誘導ブロックと呼ばれる。点状の警告ブロックは転落や衝突といった危険の可能性を示している。
令和5年2月、群馬県JR新前橋駅で視覚障害のある71歳男性が階段から転落する事故があった。点字ブロックを白杖で確かめながら歩行していた男性が、線状ブロックの上に居た集団を避け迂回する形で歩みを進めたところ警告ブロックに気づけず転落。
白杖を手に歩行する視覚障害者にとって点字ブロックのない通路は、あたかも欄干や手すりのない橋を歩くようなものとは被害男性のことばである。
JR東日本は、アナウンスでの「黄色い点字ブロック」という表現の徹底や点字ブロック上での立ち止まりや荷物を置くなど歩行の妨げとなる行為への注意喚起をはかっていくとのこと。障害がある人も周囲の人も、共に在る空間において共通の理解と認識、そして補助や協力の輪が広がれば、社会にある意識の障壁を少しずつ下げることにつながる。
あらためて人と社会の在り方を問う時、倫理学者の和辻哲郎のことばを想起する。和辻は『倫理学』の中で、人間はもと「じんかん」と読んだと記す。文字どおり人と人との間、世の中を意味し、やがてそれが世の中に生きる1人ひとりをも指すようになった。
さらに和辻は、人間とは「世の中」であるとともに、その世の中における「人」であると指摘する。人間とは孤立した自己ではなく、人と人との間に居場所のある存在だとつづる。共生社会、心のバリアフリー、ユニバーサルデザイン社会の実現を目指す今日、和辻のことばは社会とそこに生きる人の関係性を示唆している。
私事にわたるが筆者は緑内障により視野は30%以下の視覚障害者である。今までできていたことが加速的に不自由となったが不幸ではない。むしろ新しい「特性」を頂いたように感じている。
身体・精神・知的障害あるいは高齢者や認知症の人は、その人の特性であって、全人格や存在を否定されるものではない。自他が特性を隠すことなく世の中と交わり、居場所のある共同体を共生社会というのではあるまいか。全ての人が相互の人格を尊重しながら生きる。「いのちに合掌」とは「あなたは尊い」ということである。(論説委員・村井惇匡)

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    中尾堯著
    日蓮宗新聞社
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  • 日蓮聖人―その生涯と教え―

    日蓮宗新聞社編
    日蓮宗新聞社
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