論説

2025年5月1日号

社会矛盾への修羅の怒り

修羅(阿修羅)は常にあらゆるものに争いの種を探し出しては怒り、恨み、戦い、相手を傷つけ、ひいては殺害を繰り返して果てしないといわれる。
その修羅も、仏の教化を受けて仏法の守護神となったのであるが、そのような怒りや争いの修羅の心は私たちすべての人間の心に内在していて、油断をするとさまざまな場面で表出されてくるとされる。
現実の世の中には、平和とはほど遠い理不尽なことが渦巻いている。地震や山林火災などの大災害、ウクライナや中東をはじめとした戦乱で多くの人命が失われている。交通事故被害者も絶えない。最近では、オレオレ詐欺やロマンス詐欺などで多額の被害を被る人が後を絶たず、海外の大規模拠点が摘発されたという報道もあるものの、被害額は増える一方である。
このような社会的な不正義や矛盾の事例を見聞きするにつけ、怒りの心が湧き出ることを禁じ得ない。修羅の心の表出である。
「怒りを捨てよ。怒らないことによって怒りにうち勝て」とは原始経典『ダンマパダ』の教えである。怒りを捨てよとする釈尊の教えの対極にあるのが修羅であるが、その修羅が我々の心の中にあるのである。しかし、社会的不正義に対して生じる怒りの心を捨てることが正しいことだとはどうしても思えない。
自国領土が武力で侵略されようとしている時に、怒りの心を捨てなければならないのだろうか。老後の生活資金が詐欺によって奪われるような世の中に、怒りの心を起こしてはいけないのであろうか。いや、むしろ社会の矛盾や不正に対する怒りの心は失ってはいけないのではないだろうか。
日蓮聖人は『開目抄』の中で、他の欠点をあげつらってはならないという経典の説示に反して他宗を批判することは修羅道に落ちることになるのではないかとの批判に対して、日蓮は日本国のすべての人びとの父母のようなものであって、仏法を乱す者に慈しみを与える親の役目を果たしているのであると答えている。親の慈悲として子の誤りを正す言葉や行動は、修羅の怒りとは異なるとしている。社会にまん延する不正や矛盾に対して、親の慈悲としてそれを正すことなくして社会の平穏は保たれないと考えるべきではなかろうか。
宮沢賢治は、自分自身や社会の矛盾に対するやりきれない怒りの感情を「唾しはぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」(『春と修羅』)と表現しつつ、『雨ニモマケズ手帳』に「汝が五蘊の修羅を化して、あるいは天あるいは菩薩あるいは仏の国土たらしめよ」と記し、怒りの修羅の心を修行の場ととらえ、転換し浄化する道を模索する。そして、「人間の世界の修羅の成仏」(書簡)と、修羅の怒りの心を突き詰めた先に、あるいは修羅の心そのままで成仏し、社会を浄化する道があることを示唆している。
カール・ポッパーは、暴力的で不寛容な人びとを認めたなら、寛容な人びとが滅びてしまうので、不寛容な人に対しては不寛容になる権利を主張すべきであるとした。慈悲としての不寛容といってもよいであろう。
末法の混乱した社会にあっては、『ダンマパダ』のように「怒りを捨てる」ことはかえって混乱を増長しかねない。むしろ意識して修羅となって、社会に苦言を呈していくことが求められるのではないか。それこそが現代における常不軽菩薩の姿ではないかと思う。三十三間堂や興福寺の国宝阿修羅像の怒りの矛先を自分のこととして受け止めたい。(論説委員・柴田寛彦)

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