論説

2024年7月20日号

佐渡・身延期の代表的著作をたどる

日蓮聖人(1222~82)が、50歳の10月10日に2度目の流罪地である佐渡国へ向け、依智を出発され、4年間を佐渡国で過ごされるのです。聖人の身柄は北条幕府の監視下に置かれ、生活環境と自然環境の厳しさと合わせて、聖人を敵と見なす人びとが、その生命をも奪おうとさえしたのです。しかしこのような厳しい境遇にありながらも、聖人は51歳の文永9年(1272)2月、聖人の著作の中で、もっとも長編である『開目抄』を執筆され、鎌倉の信徒である四条金吾頼基のもとへ使者に託して届けられました。
聖人が過ごされた流人の住居は、地頭本間重連の邸宅の裏に広がる死者埋葬の地に建てられたお堂(塚原三昧堂)です。想像するに、端座された聖人は、文机に広げられた料紙に向かわれ、立教開宗以来の歩みと、法難の必然性の覚悟のもと、一気に法華経の行者としての信仰を本書にしたためられたのです。
ところで、今日の私たちが文章を執筆する場合、周囲に辞書や文献を置き、さまざまな文明の利器を駆使するのが常です。しかし、聖人の住居は、風雨や風雪をしのぐに十分ではなく、さらに流人として所持される典籍には限りがあったことに思いをいたすと、聖人の『開目抄』のご執筆には、畏怖さえおぼえます。
さらに聖人は、翌文永10年4月25日、17紙の両面に記された、ご自身のご本意である『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』を漢文体で完成され、下総中山の信徒、富木常忍の使者に託して、届けられます。
佐渡流罪赦免後、聖人は、地頭波木井実長の招きによって、甲州巨摩郡波木井郷身延へ赴かれます。身延でのご生活は、佐渡流罪と比較しても、けっして安穏なものではなかったと拝察されます。それは、文永11年は飢饉などが襲ったため、食料が十分でなかったと思われるからです。さらに10月には、蒙古が日本に襲来し、世上は不安の底に堕ちることになります。
ところで、波木井氏によって建立された庵室は、三間四面の建物で、聖人および弟子たちとの居住空間であります。けっして、お1人で思索を深められる住居ではありませんでした。
そのような中にあって、佐渡流罪時代からの思索の跡である漢文体の『法華取要抄』を信徒の富木氏へ届けられます。翌文永12年3月には、同じ下総の太田金吾、曽谷教信に対して、全46紙からなる漢文体のお手紙をしたためて、自己が末法の世に、大恩教主釈迦牟尼仏から遣わされた本化の菩薩であることを明示され、加えて、有力な信徒の2人に、それぞれの所領内の寺々に所蔵されている八宗の仏教典籍を、身延へ届けていただきたいという旨が記されます。
文永12年の4月には「建治」と改元され、6月には、聖人みずから『撰時抄』と命名され、「釈子日蓮述」とご署名された110紙からなる著書が完成するのです。さらに聖人は翌年、故郷の清澄寺で出家・得度の師匠であった道善房の死去に際し、『撰時抄』に匹敵するような長文の追悼文である『報恩抄』を完成させ、弟子の日向上人に託されて、道善房の墓前での奉読、そして清澄山の義浄房、浄顕房のもとへ届けられているのです。
このように佐渡・身延期の代表的著作をたどるとき、それは聖人の未来の人びと、つまりいまの私たちに、法華経の救いの永遠なることを伝えることを目的としてご執筆されていると受けとめることができるのです。
(論説委員・北川前肇)

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2024年7月1日号

色彩豊かで想像力を深める読経

今は亡き大先輩の師僧に、「お経を読むときは、登場人物や場面を思い描いて、それに自分なりの色彩をつけて読むことが大切である」と教えられた。
例えば、法華経の冒頭の序品第1は、霊鷲山の山中でお釈迦さまの説法を聴聞しようと大勢のお弟子たちが参集している場面から始まる。霊鷲山というのはどのようなお山だろうかと想像し、そこに参集する菩薩さまにはそれぞれ名前がついていて、多くのお弟子を従えている、その場面を想像するのである。お釈迦さまやお弟子たちの服装はどうであろうか、お顔の表情はどうであろうか、音声はどうであろうか、場面の色彩はどうであろうか、明け方なのか夕方なのかで場面の雰囲気も変わってくるであろう、などなどの想像をたくましくしながらお経を読むと、味わいが深くなるというのである。正しい想像を可能にするのは正しい知識であり、そのためにお経の内容について研鑽することが求められる。
今年4月に92歳で亡くなるまで現役で世界中を飛び回って活躍していたピアニストのフジコ・ヘミングさんは、「音符と音符の間に揺れを作ることで表情が生まれ、弾く人の色になる」と表現していたが、同じ楽譜を基に弾く音楽でも、弾く人によって全く異なる表情になり、聴衆は異なる色彩を感じることになる。いかに聴衆にありありと色彩豊かな世界を感じさせることができるかが、演奏者の力量ということになる。
同じように、釈尊の説法の場面設定のシナリオと説法の内容は、経典に示されている。経典に詳細に示されている場面設定や釈尊の口から発せられる言葉、聴衆の言葉や表情を、お経を声に出して読むことによって、いかにありありと現実のものとして現出させることができるかが、読経する者の力量である。
あたかもピアノの奏でる音楽に豊かな表情や色彩を感じるように、読経している本人や読経の声を聞いている聴衆が、釈尊説法の世界をいかに具体的にイメージ化できるかに、読経する者の能力が問われている。
『法華経』の法師功徳品第19に、5種類の修行方法が説かれている。いわゆる、受持、読(経文を見て音読すること)、誦(経文を見ないで音読すること)、解説、書写の5種類の修行方法である。
ここでいう読と誦には、ただ単にお経を読むというにとどまらず、いかに経典に示されている釈尊説法の世界を具体的に、色彩豊かに自らも感じ、人にも共感させることができるかという意味が含まれている。同じように、お題目を唱えるということは、法華経の世界を立体的に、色彩を持った世界として眼前に現出させることである。
近年コロナ禍を奇貨としてリモート唱題行やリモート法要などが行われるようになってきている。リモート会議では、直接対面して話ができなくても十分内容のある意見交換ができる。たとえパソコンやスマートフォンを介した唱題行や法要であっても、そこに法華経の世界がまざまざと出現し、その世界に心を安らげることができるならば、有効な手段であるといえる。
問題は、お経の読誦や唱題の発信者と受け手の心が正しく同期しているか否かということである。発信者の側に迷いや過ちがあっては、受信者が正しく受け取り豊かなイメージを広げることができない。発信者は常に自らの法華経理解が正しいか否かを自省し研鑽を深めなければならない。
(論説委員・柴田寛彦)

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