論説

2013年7月20日号

世界文化遺産・富士山と信仰

「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」が世界文化遺産に登録された。富士山は年間約30万人(平成24年度318, 565人環境省調)が登山する観光地だが、古来信仰の山として崇拝されてきた。『万葉集』に神秘的な山と歌われ、天応元年(781)から幾度となく噴火した富士山。人々はその鎮火を願い、仁寿3年(853)頃に浅間大神を祀る浅間神社を建立した。富士信仰の原初である。平安時代末期、富士山に山岳仏教を取り入れたのは末代上人だった。彼は天台宗の古刹岩本實相寺開山智海法印の弟子で、富士修験の基本を確立した。鎌倉時代、末代上人流派の修験者たちは、富士山に「埋経」「富士行」「仏像寄進」など盛んに行った。室町時代末期、徐々に富士修験が衰退すると藤原角行により新たな信仰が興った。富士講である。六世食行身禄が中興し、江戸中期の村上光清の頃には、「江戸八百八講」と謳われるほど隆盛を極めた。昭和5年、富士山頂付近で、久安年間(1150頃)の奥書のある末代上人の墨書紙経破片や銅経筒が発見されている。
このような富士信仰と日蓮聖人を通しての法華信仰はどのように融合してきたのだろうか。古来富士山は仏身そのものと考えられ、山頂の剣ヶ峰、釈迦ヶ岳、薬師ヶ岳、観音ヶ岳、経ヶ岳、駒ヶ岳、文殊ヶ岳、浅間ヶ岳は仏が鎮座する八葉蓮華にたとえられてきた。日蓮聖人は、『妙法比丘尼御返事』で「富士の御山に対したり」と述べ、富士山を「御山」として尊崇している。富士周辺に住んだ信者の上野殿一族に与えた『上野殿母尼御前御返事』では、「此経を持つ人をば、いかでか天照大神・八幡大菩薩・富士千眼大菩薩すてさせ給うべきとたのもしき事也」と述べている。富士千眼大菩薩(浅間大神)を天照、八幡と同格の法華経守護神としている。日蓮聖人の富士山への信仰が理解できる。上野殿は眼前の富士山を、法華経守護の千眼大菩薩と拝したことだろう。また日蓮聖人が富士山に法華経を埋経した伝承がある。『高祖年譜』文永6年の条には、「大士甲州吉田に如く、手ら経王全帙を筆して富嶽の半嶺に埋み、以て後世流布の苗根と為す、世々経嶽と名く」とある。蒙古国使者の来朝に国全体が騒然としている時、日蓮聖人自ら山梨の富士吉田に行き法華経全巻を書写し富士山に埋経、国家安泰を祈念し、その地を後世の拠点「経ヶ嶽」と名づけたのである。同じ内容が『甲斐国志』にある。「五合五勺、道ヨリ南ノ巌崛ヲ経カ嶽ト云。相伝フ。昔僧日蓮ノ法華経ヲ読誦セシ地ナリトゾ。堂一宇アリ。其内ニ銅柱ニ題目ヲ鋳付タリ。但日蓮参籠ノ地ハ少シク上ニ巌穴アリ、今姥ヶ懐ト称ス。是日蓮風雨ヲ凌ギシ所ナリ。其時、塩谷平内左衛門ガ家ニ宿シ彼案内ニテ登山シ此処ヲ執行ノ地ト定メケルトゾ」である。日蓮聖人は塩谷平内左衛門の小庵で法華経を書写し、彼の案内で姥ヶ懐と呼ばれた巌穴で参籠したのである。後に平内左衛門は小庵を布教道場とし、日蓮聖人を開山と仰ぎ自ら出家して二祖日仙となった。小庵は行基菩薩開基の柴庵(休道坊)と合体し、現在の身延山別院上行寺へと発展していった。また静岡県裾野市の宗門史跡「車返霊場」では、近年身延山大学等の調査により、祖師像が富士山頂に安置されていた江戸時代のものと確認された。そのほか富士山周辺には日蓮聖人ゆかりの事跡が数多く伝承されている。
春秋彼岸の中日、七面山から拝む富士山頂からのご来光には誰もが感動する。富士山の宗教的神秘性を感じる瞬間である。一時的な経済効果や地域おこしのブランド化に傾倒せず、人類の貴重な遺産を保全し、周辺に点在する法華信仰の伝承や芸術的価値を再認識し、後世に伝えていくことが世界遺産登録の意義に通じるものと考える。まさに富士千眼大菩薩のお出ましの時を迎えた。

(論説委員・奥田正叡)

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2013年7月10日号

僧侶のあり方を考える

道服に輪袈裟をかけたままタクシーに乗った。当然ながら僧侶であることは一目瞭然である。行く先を告げて座席に深く座り直し前を見ると、運転手さんの髪の毛が見事な白髪であった。同時に、この職業は何歳まで勤められるのかという疑問が起こったので聞いてみた。「失礼ですがおいくつになられますか」すると運転席から予期しない答えが返ってきた。「あなたは僧侶でありながら実に失礼だ」「私はまだ40歳代なのだけれども、病気でこのように白髪になってしまったのだ」「病気で悩んでいる人にそんな口をきくなどとんでもない」即座に非を詫びたがなかなか納得してくれない。そのうちに旦那寺の住職の自慢話になった。
曰く。「うちの寺の住職はあんたと違って立派な方でね」「いつ行っても奥の部屋に通してくれてお茶とお菓子を出し、世間話に時間を割いてくれるよ」その寺は他宗の寺であったが、仏教会の事務局長や会計を歴任した後だったからその住職のことはよく知っていた。その住職は檀家を大切にすることにかけては有名だった。
多くの人たちにとって、仕事と家庭生活を両立させることは困難なことであろう。最近では大阪市の橋下市長があれだけの激務をこなしながらも、常に良き父親としての任務も果たしているという情報があったばかりだ。家庭が落ち着いていなければ良い仕事はできないだろう。
多くの寺にとって檀家とは土台のようなものだ。家族と言ってもよい。この土台が落ち着いていなければ僧侶は安心して仕事を続けられない。だから程度の差こそあれ、どの寺でも檀家を大切にしている。しかし、檀家を大切にしていさえすればそれで僧侶としての職務を全うしているといえるのだろうか。それは違うだろう。一家の主は、家庭が大切だから社会に出ているときの自分を大切にする。社会に出てすべきことをしているから、家庭を守ることができる。まして現代に於ける寺は「公益法人」である。公益とは不特定多数の者の利益の実現を目的としているのであり、地域内どころか誰に対しても役に立つものでなければならない。そこで働く者は僧侶であれ、事務職員であれ公益性が求められている。住職が、檀家に信頼される努力をする事は大切だが、毎日がそれだけで終わっていたのなら、結果としてその職務を全うしていることにはならない。
こんな時に法律の話を出さなければ納得してもらえないというのも情けない話だ。宗祖は、檀越によって生活が成り立っていたが、そのご生涯は広く一般社会を救うためのものだった。檀越だけを大切にされていたわけでは、断じてない。
檀家を大切にすることを第一と考えることは悪いことではない。当然のことではある。その上でさらにすべきことが僧侶にはあるのだということが言いたいのだ。だから若い僧侶には世間に出てほしい。世間に出ないまでも、寺の施設そのものを社会全体のために使うだけでも良いのではないか。危惧されている東南海地震発生の時には、寺が避難所であり遺体安置場所であってほしいと願う人たちも多い。これには町内会などとの事前の取り決めなどが極めて大切で、すぐにとりかかっても早すぎることはない。
戦後生まれが人口の大半を占めつつある今、一般社会の寺に対する考え方は大きく変わっている。寺が社会の中心だった昔を懐かしむのではなく、未来の寺はどうあるべきかについて真剣に考え、今できることをすぐにでもしておくことだ。今は未来から見れば過去なのだから。

(論説委員・伊藤佳通)

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2013年7月1日号

「日本国憲法」第96条(改正手続要件)について

国の最高法規である「日本国憲法」の、改正要件を定めている「第96条」改正問題について、参議院選挙を間近にひかえ、争点の重要ポイントになるとも予測もされ、難しい問題ですが、あえて一文を記します。
■第9章 改正
「第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
つまり憲法を改定したい場合、先ず①衆議院と参議院で、総議員の(出席議員でなく)3分の2以上の賛成で発議をし、国民に提案をする。(この段階では決定ではない。提案です)
次に②、国民投票で過半数の賛成を得て、はじめて承認されます。
■この96条に対して
①憲法は普通の法律と違い、「国の最高法規」であるから、改定のハードルが高いのは当然とする意見。
②いや、外国とくらべても「世界一厳しく」時代の変化もありハードルを下げて改定すべきとする意見等々がかわされています。
特に「第2章 戦争の放棄」「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
をめぐって、時代遅れ、現状にあわない早急に改定すべきとするいわゆる「改憲派」と、いや、世界に先がけた平和主義を根幹とするこの条文を変えるべきではないとするいわゆる「護憲派」が対立し、図式化していえば、①「護憲派」は96条改定反対、96条は今のままでハードルは高くしておくべき、②「改憲派」は96条改定賛成、改定のハードルを3分の2から2分の1の過半数に下げるべきと主張している。
憲法の中身についても例えば、「9条」の問題については、いつまでも「自衛隊」で「軍隊」は持てないのか。集団的自衛権(密接な関係にある他国が受ける攻撃を自国への攻撃と見なして防衛にあたる権利)の行使を禁じているとの解釈を改め、容認に向けて改定すべきではないか。「前文」のいわゆる「平和主義」の問題、また「基本的人権」の問題等々の議論がかわされる中で、96条の改正条項があらためて問われ直されてきています。
では未来の憲法はどうあるべきか、96条改定という憲法改定の手続き問題も含めて、もっともっと議論を盛んにしていくことが、今もっとも大切なのではないでしょうか。
新しい問題では、「プライバシー権」を守るための条文や、「環境権」を守るための条文を憲法に加えるべきという声も高まっています。
日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布され、昭和22年5月3日に施行されました。以来満66年になります。その間、事実として一度も改定されていません。時代に合うかたちで憲法を見直すべきという声も大きくなってきた感があります。内容の検討をタブーとするのではなく、みんなで議論を深めあうことが今、もっとも大切なことではないでしょうか。

(論説委員・星光喩)

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