論説

2013年3月20日号

開かれた寺づくり

一昨年の3月1日、NHKのクローズアップ現代で「岐路に立つお寺~問われる宗教の役割」というタイトルの放送があった。番組の中である大学の准教授により、「仏教・お寺・僧侶のそれぞれに良いイメージを持っているか」という質問の結果が紹介された。仏教に対して90パーセント、寺に25パーセント、僧侶に10パーセントというものだった。解説者はこのことについて、現代人は仏教には興味を持っているが、寺や僧侶に対して不信感を抱いていることの現れだろうとし、これは墓や葬儀を商品化したことによる檀家システムの崩壊を意味し、今の僧侶が墓や葬儀以外で如何に社会と関わっていくかが問われていると指摘した。このアンケートは准教授の講演会で取られたものと記憶しているが、衝撃的な結果だった。また、読売新聞世論調査(平成24年4月)でも、簡素な葬儀を希望する(92パーセント)、散骨は特に問題ない(82パーセント)、通夜、告別式なしの直葬は特に問題ない(72パーセント)という結果だった。
この2つの結果をどのように受け止めたらいいのだろうか。寺の伝統や規模、立地条件や信仰の度合い等の条件により、受け止め方は様々だろう。ただ、これらのアンケートから、今、当に日蓮聖人の説く「立正安国」の実現に向け、葬儀や墓以外での宗教活動を展開すべき時だと感じるのである。
東日本大震災から2年。「絆」という言葉が流行したように、日本では人と人との結びつきが求められている。今、そのような社会の声に耳を傾け、寺を苦悩する人達の心の拠り所として開放し、「開かれた寺」を目指す活動が注目されている。どのようにすれば、社会に開かれた寺にできるのか。その具体的方策を考えてみたい。
第一に「寺の精神的バリアフリー化」である。一般の人にとって寺は敷居が高い場所である。理由としては費用や組織など内容が明確でないことが挙げられる。「お礼はお志しですから自由ですよ」と言われても、一般的に理解しにくい。寺により運営形態や方法は様々だが、可能な範囲で費用面や組織内容を、一般の人に解るように明示してはどうだろう。また、自分達の宗教理念に共感する様々な分野のスペシャリストとタイアップして寺を開放したらどうか。「あの寺に行ったら何か楽しいことがある。この寺は気楽に行けるぞ」という安心感があってこそ、一般の人が寺に集まる。そこで大事なことは、行事の基本理念は法華経と日蓮聖人の教えに求めることである。寺を開放する目的は「お題目結縁」であることを忘れてはならない。
第二に、「リピーターを増やす工夫」である。寺を第三の居場所、つまり駆け込み寺にするのである。最初は無理せず少人数で始めよう。道具は同じものを使用するほうが経費の負担にならない。繰り返し参加することにより、充実感が増す内容にする。そのためには100回続けられる内容を考えてみよう。また「来るは拒まず」の精神で受け入れ態勢を広くする。新しいメンバーが参加しやすいよう、世話役は別として常連には特権を与えないほうがいい。全員平等と認識してもらうことが、人が集まり発展へとつながっていく。
第三に、情報発信の方法である。手紙や葉書、寺報などもあるが、最近ではインターネットによる情報発信が主流になってきている。不得手な人は得意な人や業者に相談したほうがいい。使えば使うほど便利さを感じるはずである。
新しいことを始めた場合、失敗してもその原因を自分以外の他者に求めないようにしよう。自己責任こそ成功へ導く鍵になる。結果より「実践・失敗・検証・実践…」のプロセスにこそ宗教活動の意味がある。

(論説委員・奥田正叡)

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2013年3月10日号

持っている力を社会に

身延山大学東洋文化研究所が10年以上に亘って続けているラオスでの仏像修復活動に当初から関わらせていただいている。それ以前からラオス政府との人脈があったのを見込まれてのことだ。ラオス情報文科省遺産局との最初の調印式には当時大学長であられた故浅井円道先生が自らお越しになられた。ご本人と大学の決意の表れだろう。
活動の場となっているのはラオス人民民主共和国ルアンパバーン県の世界遺産地域である。ここの35ヵ寺で1,174体の仏像調査を既に終え、世界で初めての仏像基本台帳を作成した。想像を超えた破損状態であったという。
仏像修復に取りかかるについても、その材料や機材の全てを日本から持ち込むのではなく、なるべく現地で調達したいのは、このプロジェクトがいずれ現地の人たちの手で続けられるようにしたいからだ。国際協力活動の基本でもある。
ところで、このような活動に疑問を抱く方も多い。「なぜラオスの人たちが自分で修復しないのか」「仏像をもっと大切にできないのか」等々である。まして熱心な上座部仏教国で国民の殆どが信者であるとなれば、不思議に思われるのも当然だろう。
これにはラオスの置かれてきた立場も理解しなければならない。長い間続いたフランスによる植民地時代には識字率が僅か2パーセントに過ぎなかった。その後もインドシナ全体を巻きこんだ戦争でフランス、アメリカなどに半ば支配され、1975年のパテトラオの勝利による革命で初めてラオス人の教師だけによるラオス語のみを使った教育が始まったに過ぎない。それでもまともな校舎は皆無に等しく、全国で必要だといわれている8千の村のほぼ半数の小学校に曲がりなりにも校舎が整ったのはつい最近である。
教育は読み書き算盤だけではない。文化遺産を守ろうという意識もまた教育から始まる。身延山大学では今、修復作業に携わる現地の人材育成にも力を入れている。諦めることしかできなかった破損、盗難から仏像を自らの手で守ろうという動きが、今始まっている。
この活動を支援するためのサポーターズ・クラブを発足したのは3年前である。皆様へのご案内の発送が東日本大震災の発生と前後したために周知には至っていないが、それでも毎年100万円を仏像修復製作室にお届けできている。今は国内の事で手が一杯で外国のことなど考えられないという中で、敢えて会費や寄付金をお送り下さる方々に感謝している。
確かに今、国内に解決すべき問題は多い。先頃も子供たちの15パーセントが貧困家庭で育っているという情報を得たばかりだ。日本でのことだ。定時制高校に通う生徒の中には、夜間に出る給食だけが一日の食事だという例もあるというから驚いた。しかし、国内に問題があるから海外への支援は不要というわけにはいかない。国内外に分ける必要もない。できることにできる人が参加するというのが望ましい。
身延山大学では更に、柳本伊佐雄教授の指導の下、陸前高田市、仙台、福島の寺へ悲母観音像、慈母観音像、釈尊座像のそれぞれを送るべく製作を続けている。有難いことに外部の多くの方々も工房を訪れ、復興を願ってノミを入れておられるという。まさに心の救援活動と言うべきだろう。
日蓮宗僧侶や檀信徒が、それぞれ得意ところで力を発揮すればその公倍数が日蓮宗の力になる。様々な場面で社会に出よう。

(論説委員・伊藤佳通)

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2013年3月1日号

「体罰」と指導の在り方

大阪市立桜宮高校バスケットボール部の2年男子生徒(17)が自殺した問題で、暴力を振るった同部顧問の小林基教諭(47)が懲戒免職処分となった。
「市外部観察チーム」の「桜宮高報告書」の要旨が公表されたが、いわゆる「体罰問題」の根源、原点が把握でき、問題を考える上での貴重な資料としても重要である。(以下・要旨)
「桜宮高報告書」
【認定事実】
顧問は練習試合の合間や後に、男子生徒の顔を平手で数回たたいた。「たたかれてやるのは動物と一緒や」とも言った。
【暴力に対する評価】
男子生徒の部活ノートや母親の供述から、平手とはいえ、相当な力が加えられていたことがうかがわれる。人前で躊躇せず暴力を加えていることを考えれば、生徒への暴力に対する顧問の規範意識は乏しいと言わざるを得ない。正当化する余地は皆無だ。
【自殺との関連性】
男子生徒への暴力は強度かつ執拗。練習ノートや顧問宛ての手紙の記載内容から、繰り返し叱責されるとともに理不尽な暴力を加えられることで深く苦悩していたのは明らか。主将交代の話をたびたびされるようになったことも、自殺に追い詰めた背景になっていると考えられる。
【顧問の暴力傾向】
顧問は生徒に対する暴力を指導の一環であると位置付け、恒常的に平手打ち・足蹴り・物を投げつけるなどの暴力を、時には相当強くかつ執拗に行っていた事実が認められる。
【結語】
顧問には顕著な暴力傾向が認められる。教育者としての責任は極めて重く、厳重な処分が必要である。(新聞報道)
(1)スポーツの指導者が選手に暴力をふるう「体罰」とは、
①殴る・蹴るなどの身体に対する侵害。
②長時間の正座や直立など肉体的苦痛を与えること。(文部科学省の通知)
学校教育法第11条は、もちろん校長や教員は「体罰を加えることはできない」と明確に禁止している。
(2)監督は「強くするには体罰も必要」「選手に頑張ってほしいという気持ちから」と弁明していたが、柔道の女子選手15人が日本代表監督から暴力を受けていたと日本オリンピック委員会に訴えて受理され、監督が辞任した。(根本の問題はもちろんそれで一件落着ではないが)
(3)プロ野球・巨人の投手だった桑田真澄さんは「暴力では決して選手はうまくならない」と。
私は剣道少年で川越高校のキャプテンもつとめたが、「体罰」は一切無し。「体罰は愛情」は嘘。体罰は服従を強いるもの。選手の向上には不必要なもの。体罰では技術も向上せず、信頼関係は生まれない。上下関係の、押しつけの指導法。服従を強いている指導法が今までもあるとしたらそれは錯覚。「どこをどうしたらその若手が伸びるのか」。その苦心と工夫の中にこそ真の指導法が生まれるのは論をまたない。どの世界の指導者も同様である。

(論説委員・星光喩)

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