論説

2021年2月20日号

次の節目へ思いをつなぐ

 日蓮聖人が貞応元年(1222)2月16日、安房国長狭郡東条郷片海(現・千葉県鴨川市)の地に誕生されて、今年は800年の記念すべき年を迎えました。私たちの宗門・各寺院などはもちろんのこと、研究機関、そして聖人の教えを信奉する1人ひとりにとって、尊い節目の年であります。
 けれども、昨年(令和2年)1月中旬に、日本においても最初の新型コロナ感染者の報道がなされた以来、世界中に蔓延し、1億人を超える人たちが、この感染症に罹患しています。さらにウイルスは、日々刻々と変異し、新たな感染症を引きおこしています。
 私は、昨年6月の論説において、寺院、および教育機関に関わりをもっていることから、微力ながらも感染症の危険を冒すことのないように、と自戒の文章を書かせてもらいました。いまも、その考えに変わりないのですが、では、聖人門下の1人として、降誕800年をどのように迎えるべきかを考えています。
 ところで、はじめて日蓮聖人のご霊跡を参拝する機会を得たのは、大学進学に始まります。
 まず、上京の折には身延山へ参拝し、入学後は、立正大学が東急池上線の沿線でしたから、聖人ご入滅の大本山池上本門寺へ参詣いたしました。そして、大学1年の6月、諸先輩たちと日蓮聖人降誕の安房小湊の地を訪れることができました。そのときの記憶は鮮明です。東京の両国駅から外房線のディーゼルカーに乗車し、茂原の藻原寺、小湊誕生寺、妙蓮寺、小松原鏡忍寺、そして清澄寺なども参拝しました。昭和42年(1967)のことです。
 はからずも、聖人の聖地の参拝によって、私自身が仏門へ入った意味を考え、そして大学生活における仏教研鑽の覚悟をもったことを思い出します。
 卒業年時の昭和46年(1971)2月16日は、日蓮聖人降誕750年の記念の聖辰であります。
 いま、この年の事柄を『近代日蓮宗年表』から抽出いたしますと、2月15日から17日まで大本山小湊誕生寺で「日蓮聖人降誕七五〇年慶讃大法会」が営まれています。4月3日から27日までの約1ヵ月間は、東京日本橋浜町の明治座で、松本幸四郎翁(1910~82・初代松本白鸚)を主演とする聖人劇「日蓮」の上演です。また、身近には、立正大学仏教学会から『大崎学報』の「聖誕七五〇年記念特輯号」が刊行され、この研究誌によって、私は貴重な示唆を受けています。
 さらに、記念行事は、ご正当の年にとどまることなく、翌47年(1972)、2月22日から3月5日までにわたり、新宿三越デパートで、誕生寺の出開帳があり、「日蓮聖人ゆかりの霊宝展」が開催されています。大学院生の私は、多少の手伝いをいたしました。
 いま、これらの事跡をたどりながら、改めて日蓮聖人のご降誕の意義を考え、さらに自己自身の信仰のあり方を考えてみますと、学生時代の750年という尊い節目は、50年後の今日に連なり、さらに、今後は聖人のご入滅750年と、継続されなければならないと思うのです。
 コロナ禍によって、記念行事などが縮小、延期、さらには中止となっていると思われます。しかし、それらを乗り越え、さらなる未来へ日々、日蓮聖人の信仰世界に生き、そして未来の人びとに手渡さねばならないと思うのです。
    (論説委員・北川前肇)

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2021年2月10日号

コロナ禍で失う命、救える命

 再び緊急事態宣言が発出された日本。私は、不要な外出を自粛していたが、久しぶりに公共機関を利用し、都内へ向かう電車を待っていた。駅の電光掲示板には、3線の遅延状況が示され、どれも「人身事故のため」という理由に胸が痛んだ。
 毎年報告される警察庁の統計では、平成22年以降自殺者が10年間減少していた。しかし、令和2年は新型コロナウイルスに関係してなのだろうか、自殺者数が増加に転じた。特に、女性と若年層の増加が指摘され、その原因が問われている。心を追い詰め「死にたい」という動機に囚われているものは何か?
 脳科学的に女性は感情が豊かで、広い人間関係を構築できる特性を持った人が多いという。保育や介護、接客を伴うサービスなど、その特性を活かして多くの女性が携わってきた。しかし、人との接触を避けなくてはならないコロナ禍で、離職せざるを得ず、居場所を失った女性が増加している。若年層においては、学校が対面を避けリモートでの授業になったり、学生時代を謳歌できる活動が自粛・規制されるなどして、人とのコミュニケーションが閉ざされてしまうことが増えた。これらが原因の一部ではないかと思う。専門家は、孤独感や悩みが深刻化する前の「小さな生きづらさ」の段階で、丁寧にケアする必要性を訴えている。「生きづらさ」とは、社会の中に居場所が見つからず、将来への展望が描けない疎外された孤立状態をさす。原因は多種多様で、周囲の対人関係のなかで精神的に生きづらい人もいれば、貧困による生活苦から経済的に生きづらい人もいる。特にコロナ禍で、家に引きこもらざるをえない状況や環境は、女性、若年層だけでなくすべての人びとを、一層心理的に追い込んでいく危険性が高い。
 自死(自殺)問題を何とかしたいという思いを持って集まった僧侶たちが結成している「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の存在を紹介したい。宗派を超えて僧侶たちが共同代表を務め、私が信頼を寄せている日蓮宗の僧侶もその1人。穏やかな彼も、コロナ感染防止に配慮を要し、例年通りの活動とはいかないジレンマを抱えながら、それでも誠実に活動を続けている。その活動の目的は「1人ひとりが生き生きと暮らし、安心して悩める社会づくり」を目指す。①お互いを認め合うように僧侶が自ら働きかけること、②社会の中に安全地帯を作ること、③仏教を規範として生きる道しるべを示すこと、を挙げ、啓発活動、自死念慮者相談活動、自死遺族の分かち合いの開催、自死者の追悼法要などをとても丁寧に、熱心に行っている。
 宗派を超えて今、仏教を軸にして「生きる」を考えたい。この会の目的にあった「生き生き暮らす」つまり「生き生き」という言葉がキーワードである。人は、生き生きと生きがいを持って生きることに意味を持つ。そして、みんな悩みながら生きていることを受け止め、分かち合うことができる場にお寺がなってほしい。新型コロナウイルスに感染して、たくさんの命が失われた。しかし、今日も医療に従事しているたくさんの人びとが、命を救ってくれている。僧侶には失った命を弔うだけでなく、失わないために、救うために課された役目があるのだ。それぞれの立場で失う命、救う命を考え、すでに活動している僧侶たちがいることを知ってほしい。昨年末、あるアパレル会社の広告をテレビで視た。「冬がくる…去年とはちがう冬…それがどうした…ふれあいを、ぬくもりを手離すな。ほら、しあわせはいつもそばにある」。寒い冬に心が温まった。
 日蓮聖人降誕800年を2月16日に迎える今こそ、私たち日蓮宗徒もあらためて生まれ変わったつもりで、人の心に「生き生き生きる」という灯をともそう。
     (論説委員・早﨑淳晃)

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2021年2月1日号

優しさに火をつけたい

寺の門前に男性が立ち止まり、こちらを見ている。中学校時代の同級生だった。中学校で一緒だったO君ですねと声をかけると境内に入ってきた。
60年近く会っていなかったのに彼のことをよく憶えていたのは、彼の家がある新興宗教の信徒だったということもあるが、寺に遊びに来て一緒に宿題をしたこともあり、そこそこのお付き合いをする仲でもあった。
懐かしくいろいろと話をしたが、彼は小学校や中学校時代の話題に入ることを拒否したのだ。
彼の家はとても貧しく、給食代の納入がいつも遅れ気味だったというのだが、担任教師がその都度クラス全員の前で彼を責めたのだそうだ。どれほど辛く悲しかったことか。
当時は身長の低い、おとなしく目立たないイメージだったが、目の前に立つ彼は170㌢の小生と肩を並べるほどになっていた。しかもその顔には自信が満ちあふれ堂々としている。
辛い少年期を過ごした彼は一念発起して勉学に励み、現在は医療技師として退職後も請われて有名な総合病院で働いているという。新興宗教に入信したのは彼の父親だけで、本人はクリスチャンになっていた。
誰もが彼のように逞しく生きられるわけではないだろうが、良い話を聞いてうれしかった。
さて、年が変わっても主宰するNGOは身動きが取れない状態だ。その間に国内で困窮する人たちが増えている。会員の人たちから預かっている資金の使い道も決まらないままになっていたのだが昨年の秋、以前から参加したいと考えていた母子家庭の支援に使わせてもらうことになった。
「静岡県母子寡婦福祉連絡会」は県社会福祉協議会が管轄する団体で母子と寡婦の生活支援をしている。そこに、ラオスで124校目の校舎を建てるための資金の中から400万円を寄贈したところ、それを会員である290家族への支援に使ってもらえた。
後に届いた200通以上の礼状にはその人たちの困難な生活ぶりが浮かび上がっていた。
「食べ盛りの2人の男の子に米を買ってあげたい」「7㌢も身長が伸びた長男に新しい服を買います」「欲しかった参考書を買いたい」「これで欲しかった部活の道具が手に入ります」などなど。
支援したのは母子家庭に1万円の商品券と5千円の図書券、寡婦家庭には商品券のみだったが、どれほど役に立ったかが痛いほど分かる。
支援元の「仏教救援センター」という会の名称から、多くの人たちが「仏教」による支援を身に滲みて感じているはずだ。うれしかったのは、この活動を紹介した地方新聞を読んだ人たちが連絡会に寄付を送ってくれるようになったことだ。なかには10万円、30万円という金額を送ってくれる人もいるという。
日本人が本来持つ優しさに皆が気づき始めた。今回、火を付けたのが仏教であることも自慢したい。誰もが辛い時だから、誰もが幸せになるための行動が求められている。
生きている人たちがつくる社会が幸せになって初めて、祖先の成仏も叶うというものだろう。(論説委員・伊藤佳通)

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新年のご挨拶。

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