2021年2月10日
コロナ禍で失う命、救える命
再び緊急事態宣言が発出された日本。私は、不要な外出を自粛していたが、久しぶりに公共機関を利用し、都内へ向かう電車を待っていた。駅の電光掲示板には、3線の遅延状況が示され、どれも「人身事故のため」という理由に胸が痛んだ。
毎年報告される警察庁の統計では、平成22年以降自殺者が10年間減少していた。しかし、令和2年は新型コロナウイルスに関係してなのだろうか、自殺者数が増加に転じた。特に、女性と若年層の増加が指摘され、その原因が問われている。心を追い詰め「死にたい」という動機に囚われているものは何か?
脳科学的に女性は感情が豊かで、広い人間関係を構築できる特性を持った人が多いという。保育や介護、接客を伴うサービスなど、その特性を活かして多くの女性が携わってきた。しかし、人との接触を避けなくてはならないコロナ禍で、離職せざるを得ず、居場所を失った女性が増加している。若年層においては、学校が対面を避けリモートでの授業になったり、学生時代を謳歌できる活動が自粛・規制されるなどして、人とのコミュニケーションが閉ざされてしまうことが増えた。これらが原因の一部ではないかと思う。専門家は、孤独感や悩みが深刻化する前の「小さな生きづらさ」の段階で、丁寧にケアする必要性を訴えている。「生きづらさ」とは、社会の中に居場所が見つからず、将来への展望が描けない疎外された孤立状態をさす。原因は多種多様で、周囲の対人関係のなかで精神的に生きづらい人もいれば、貧困による生活苦から経済的に生きづらい人もいる。特にコロナ禍で、家に引きこもらざるをえない状況や環境は、女性、若年層だけでなくすべての人びとを、一層心理的に追い込んでいく危険性が高い。
自死(自殺)問題を何とかしたいという思いを持って集まった僧侶たちが結成している「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の存在を紹介したい。宗派を超えて僧侶たちが共同代表を務め、私が信頼を寄せている日蓮宗の僧侶もその1人。穏やかな彼も、コロナ感染防止に配慮を要し、例年通りの活動とはいかないジレンマを抱えながら、それでも誠実に活動を続けている。その活動の目的は「1人ひとりが生き生きと暮らし、安心して悩める社会づくり」を目指す。①お互いを認め合うように僧侶が自ら働きかけること、②社会の中に安全地帯を作ること、③仏教を規範として生きる道しるべを示すこと、を挙げ、啓発活動、自死念慮者相談活動、自死遺族の分かち合いの開催、自死者の追悼法要などをとても丁寧に、熱心に行っている。
宗派を超えて今、仏教を軸にして「生きる」を考えたい。この会の目的にあった「生き生き暮らす」つまり「生き生き」という言葉がキーワードである。人は、生き生きと生きがいを持って生きることに意味を持つ。そして、みんな悩みながら生きていることを受け止め、分かち合うことができる場にお寺がなってほしい。新型コロナウイルスに感染して、たくさんの命が失われた。しかし、今日も医療に従事しているたくさんの人びとが、命を救ってくれている。僧侶には失った命を弔うだけでなく、失わないために、救うために課された役目があるのだ。それぞれの立場で失う命、救う命を考え、すでに活動している僧侶たちがいることを知ってほしい。昨年末、あるアパレル会社の広告をテレビで視た。「冬がくる…去年とはちがう冬…それがどうした…ふれあいを、ぬくもりを手離すな。ほら、しあわせはいつもそばにある」。寒い冬に心が温まった。
日蓮聖人降誕800年を2月16日に迎える今こそ、私たち日蓮宗徒もあらためて生まれ変わったつもりで、人の心に「生き生き生きる」という灯をともそう。
(論説委員・早﨑淳晃)