論説

2022年11月20日号

宮沢賢治の信仰を訪ねる

昭和8年9月21日午後1時30分、岩手県花巻の地において、宮沢賢治(1896~1933)は、満37歳の生涯を閉じました。明年は満90年忌を迎えることになります。賢治の生誕100年を記念して、その生涯が映画化され、また宮沢賢治の展覧会が開催されてから27年を経ています。
私が宮沢賢治の作品から深い感銘を受けた1つに『農民芸術概論綱要』があります。おそらく、私自身が農家の出身であることに由来しているからかも知れません。しかし、その力強い文章は、法華経の地涌の菩薩がこの三千大千世界において、大恩教主釈尊の勅命を受けて、理想世界建設のために邁進しようとする誓願が、根底にあることに共鳴したからであります。
私は、立正大学の宗学科2年生(2部)を迎えた夏休み、仲間たちと「仏教研究会」というサークルを作り学園祭(「橘花祭」)参加のテーマを「菩薩とは何か」と決め、私たちの小グループは、お題目を高らかに唱え、遺される家族に『国訳妙法蓮華経』の出版を依頼した賢治の生涯こそ、現代における「菩薩行の実践者」であると位置づけ、生涯をたどることとしたのです。昭和43年8月の夏休み、わずかな時間を利用して、花巻の宮沢家の菩提寺日蓮宗身照寺に参拝し、住職の紹介で宮沢家を訪問しました。さらに羅須地人協会跡、稗貫農学校跡、イギリス海岸などを歴訪したのです。そして、盛岡市へと歩みを進め、賢治ゆかりの地を訪ね、その後、平泉中尊寺、松島などを歴て、賢治探訪の旅を終えたのです。
今日に到っても、宮沢賢治の生き方を訪ねる旅は、終わりを迎えてはいないのです。いまもなお、賢治の37年の生涯を貫くものを求めつづけています。
1つの仮説として、賢治が盛岡中学校を卒業し、進路が確定しなかった18歳の大正3年(1914)9月、父政次郎と念仏信仰を一にする法友高橋勘太郎(1869~1936)から届けられた、島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』(明治書院)との出会いが、その後の賢治の生き方を決定づける分岐点となったと考えています。
宮沢家は、真宗大谷派の花巻山安浄寺の檀家でした。ことに、父政次郎は近代真宗学の祖と仰がれる清沢満之(1863~1903)を訪問し、またその弟子たちが活動する浩々洞発行の『精神界』を支援し、のちに真宗大谷派の宗務総長に就任する暁烏敏(1877~1954)や、清沢門下の多田鼎(1875~1937)などを講習会の講師として招いているのです。いっぽう、明治44年(1911)8月、本願寺派の学匠島地大等(1875~1927)を招いて『大乗起信論』の講義を要請し、賢治は親しく受講しているのです。
このように、宮沢賢治の信仰は、はじめは念仏信仰であったと思われますが、盛岡中学校へ入学すると同時に、仏教探求の道を進み、曹洞宗の報恩寺での参禅、あるいは北山願教寺の島地黙雷、島地大等などに直参し、自己探求の道を邁進したと思われます。
そして、ついに18歳で『法華経』との出会いを経て、盛岡高等農林学校での地質学の研鑽、恩師関豊太郎博士(1868~1955)との出会い、研究生として地元稗貫郡地性調査、いっぽうでは、田中智学氏主宰の国柱会に入会して日蓮聖人のご遺文を学び、併せて文学の道を究めているのです。
満37歳という賢治の生涯は、長くはありませんが、その立場は大恩教主釈尊、すなわち南無妙法蓮華経とともに生きる姿であったと拝察できるのです。
(論説委員・北川前肇)

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2022年11月1日号

三界は安きことなし

 なんということであろうか。
 コロナ感染症第7波が収束しつつあるとはいえ、今後も繰り返し変異した新しい病原体と戦い続けなければならないであろうことが現実的であることを日々思い知らされている。
 さまざまな最新兵器を駆使し、サイバー攻撃などを伴って、時には核兵器使用をちらつかせながら、強国が他国を侵略して自国領土にしてしまうという暴挙が、今この21世紀に現実に起こっており、国連も抑止不能の状況が身近に生起している。
 総理大臣経験者が大衆の面前で殺害され、その映像が衆目に晒されたり、理不尽な事故に巻き込まれて命が脅かされる事例が日々報道されている。
 こうした状況は、まさに安心と安全、平和を求める私たちに火の粉が降りかかり、社会全体が大火に燃え上がっているようなものである。
 法華経では、「私たち人間は、燃え盛る火に囲まれた家の中に住んでいるのに、そのことに気付かず、あるいは気付いていてもそこから逃れるすべを知らない子どもたちのようだ」という。
 火に包まれた家から逃れ出る方法は、釈尊が私たちに教え導こうとしている道であるが、それは、決して燃え盛る家から逃げ離れて超然として遠望することではない。火災とは無縁な別の世界に移住することで良しとすることでもない。燃え盛る家のそばにいて、まだ中にいて苦しんでいる者たちに手を差し伸べ、火災の源を断つための努力を不断に続ける困難な道である。あたかも万全な装備をした有能な消防隊のようなものである。
 いや、有能な消防隊であれば、出火した火を素早く消し、家の中に閉じ込められた被災者を助け出すことができるであろうが、出火の原因、大きく燃え上がる原因は、そこに住む人びとの日常の心構えと行いにあるのであるから、それを改めなければ本当の解決にはならない。
 釈尊は、火災の原因である心の迷いを正すことこそが根本的な解決法であること、そのための方法を教えている。そして、心の迷いを正すことを志すことが菩薩の行いであるとする。
 このように考えると、コロナの問題は、自分が感染しなければそれで良しというものではなく、この感染症の原因、予防法、治療法を探り、感染した人の治療に協力し、社会不安を軽減するよう尽力することが、釈尊の教えにかなう道であると言えるのではないだろうか。
 またウクライナの問題は、戦争が身近に迫っていないことで良しとするのではなく、国際社会に訴えて戦争の終結を促す非暴力による努力を続け、現実に戦火に苦しむ人たちに支援の手を差し伸べることこそが法華経的対応と言えるのではないだろうか。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とするユネスコ憲章前文の精神は、釈尊の教えに合致するものと理解したい。
 日々報道され社会不安を募らせる犯罪や事故に対しても同様である。犯罪や事故の起こらない社会にするべく不断の努力をするとともに、被災者の傷ついた心を癒やすべく、寄り添うことが菩薩の行いであろう。
 そうした菩薩たちのいる社会が、たとえ事件や事故、あるいは戦争が根絶できないとしても、仏の浄土であると考えたい。
 お題目はただ唱えればよいというものではない。しかし、唱えなければ真実は見えない。唱えつつ実践する困難な道を歩むべきことを、日蓮聖人は教えておられる。(論説委員・柴田寛彦)

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