論説

2015年4月20日号

老後を「漂流」する人のために

高齢者の年金は、家族と同居することを前提として算定されているらしく、老齢基礎年金が月5万円に満たない人もかなり多い。65歳以上の老人で、月の収入が10万円を切る人たちが、同年代の老人の4分の1に及んでいるという。高齢者の4分の1が貧困状態にあるということである。
月収入が10万円以下で、預金もない人が、介護付きの施設に入ろうとして、公的施設を探すとする。
まず特別養護老人ホームがある。要介護度や収入により施設利用料は異なるが、比較的安価に介護・医療サービスも受けられる。しかし、希望者が多く、何百人待ちといった状態で、ほぼ入れない。
退院して、リハビリや体力回復のために一時的に利用するなら、老人保健施設がある。しかし、ここは一時的にしか利用できない。病院の「介護療養型病床」もある。これは慢性病などのためにあるものであって、医療費節減のため、病院ではこの利用を抑えようとしている。
軽度の認知証の老人には、共同生活型介護施設「グループホーム」がある。介護は必要ないが、食事や普段の生活を、お互いに助け合いながらするシステムである。しかし、いずれも月10万円以上が必要となろう。
そこで自宅で在宅介護を受けようとする。そのためには、自分の身仕舞いができなければならない。ヘルパーを頼み、介護サービス・生活支援を受けようとすれば、これもある程度の蓄えが必要となろう。施設を利用するには、若いうちからそのための準備をしておかなければなるまい。そうでなければ、「人の世話にならない」などと言っておられないのである。
高齢者は、骨折・脳梗塞・心臓発作などをきっかけに、人生最後を締めくくる漂流が始まる。
体の不調に気づき、高齢者のための相談所「地域包括支援センター」に相談をし、病院に入院したとする。長期入院は許されない。2ヵ月くらい入院すると、転院を勧められたり、施設に入ることを勧められる。
公営の特別養護老人ホームや老人保健施設には空きはない。色々当たって残されるのは、有料老人ホームなどのショートステイを利用することであろうか。または生活保護を受けて無料低額宿泊所を利用したり、ホームレスになったり、こうして、高齢者の人生の締めくくりとしての漂流が始まる。
まさに「火宅の如」く「安きこと無」き「三界」を漂流するのである。
日蓮聖人は、池上への最後の旅の感懐を、波木井殿への御消息で、次のように記しておられる。
「道の間、山と申し、河と申し、そこばく大事にて候けるを、公達に守護せられまいらせ候て、難もなくこれまでつきて候事、をそれ入り候いながら悦び存候」 。長旅の辛さを、見守り、支える人たちが側に居ることを、聖人が心強く、喜ばしく感じておられることが分かる。
現代の日本の高齢者は、聖人とは違って、孤独の中に生きている人が多い。 孤独死、ゴミ屋敷、ホームレス、おれおれ詐欺の被害者など、皆孤独の中で起こっている事柄である。
しかし、高齢者たちは、経済的に厳しく、孤独で不安な状況に取り囲まれながらも「人に迷惑をかけたくない」と思っている。
私たちの周りには、定年退職し、連れ合いとも死に別れ、子どもたちの家族とも離れて生活している一人住まいの高齢者が多くいる。
社会や家族に大いに貢献したのに、なぜ「人に迷惑をかけたくない」と思うか。それは、人間関係を煩わしいと考える価値観が染みついているからではないかとも思われる。人間関係の中に喜びがあることが忘れられているのである。
家族や地域コミュニティーが崩壊し、居場所を失った老人たちに何かできないか。これを模索していくことは、宗教者に与えられた時代の要請ととらえたい。
(論説委員・丸茂湛祥)

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2015年4月10日号

表現の自由と宗教

イスラム教の風刺画を掲載していたフランスの出版社がテロリストによる襲撃を受け、多くの人たちが死傷しました。まずもって、亡くなられた方々の冥福をお祈り申し上げる次第です。
この事件は表現の自由と宗教の関係について多くの問題を私たちに提起しています。一般のイスラム教の人たちは「これらテロリストは、自分たちが考えるイスラム教徒ではない。イスラムではこのような殺人は許されない」と事件を起こしたテロリストを非難し、一般のイスラム教徒とこれらテロリストを混同しないように願っています。
このようなテロ行為には私たちはどのように対応していけばよいのでしょうか。私は、イスラム過激派のテロリズムを鎮めるのは、キリスト教徒でも、無宗教者でもなく、イスラム教徒だと思っています。大多数のイスラム教徒はテロを認めません。イスラムの人達が、イスラムの信仰からテロリズムを排除することで、テロリストは自分たちの行動規範の根本を失います。宗教的基盤を失ったテロ集団は求心力を失っていくでしょう。その意味で私たちは、一般のイスラム教徒を信じ、彼らがテロリズムをイスラム社会から排除することを支援していくことが必要です。
今回のフランスでの出版社襲撃事件に対して、世界中が表現の自由の大切さを訴えました。しかし気をつけなければならない点もあります。イスラムに対する誤解と偏見を助長する危険性を大きく孕んでいる記事を見ることも多く、それらの記事によって、一般のイスラム教徒をも偏見の対象にしてしまい、彼らがイスラム系テロリストの活動に理解を示すようなことは避けなければなりません。
報道は、権力の暴走を防ぐために、表現の自由を保障されています。彼らから発信される情報は、社会に流れを作り出し、権力者側に横暴を許さない環境を作ります。したがって、表現の自由が保障されるのは、相手が権力者であるということです。しかし報道側が気をつけないと、表現の自由に対する保障は、表現する手段において優位に立つ者が、表現する力を持たない弱者を痛めつけることを正当化することにも繋がる危険性を孕んでいます。
最近出版されたフランスの風刺画で、福島の原発から煙があがり、防護服を着た二人の作業員の前に長さ数㍍もある鳥の足跡が地面についた絵があります。これは放射能の被爆によって鳥が巨大化したことを想像で描いたもので、福島の被害者に対する差別を助長する内容です。本来彼らが批判する対象は、原発を管理運営する責任者たちであって、原発事故の被災者ではありません。この風刺画は、周辺で原発の風評被害にあっている原発事故の被災者をも対象としている点で、許されるものではありません。
宗教もひとつの大きな権力と言えないこともありません。しかし、報道の対象となるべきは、宗教の組織にある指導者であって、宗教そのものではありません。宗教そのものを否定することは、その信仰をもって日常生活を送っている信徒の存在をも否定することになります。宗教を前近代的なものとみなし、それを教育してやるといった考えが少しでも、報道側にあれば、それは報道側が権力者として、信仰している弱者を踏みつけているのと同じことになります。最近の報道は、表現の自由の対極にイスラムの信仰を置こうとしているように見えます。報道に携わる方々には、ぜひ表現の自由の対象について再確認をしていただきたいものです。
(論説委員・松井大英)

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2015年4月1日号

平和と安穏を願う法華経の教え

イスラム過激派組織の人の命の重さをまったく顧みず、暴力と残虐性をもって自らの一方的な要求を通そうとする蛮行は、いかなる理由があろうともまったく容認することはできない。
世界中にネットで画像を公開し、人々に恐怖心を植え付け支配しようとする過激派組織だが、それが宗教の名の下に行われていることに多くの人びとは疑問を感じ、違和感を持つのである。
また、この度の痛ましい事件に日本人が巻き込まれたことにより、私たちはこれまであまり知らなかったイスラム教、そしてイスラムの歴史や文化に関心を持つことになったのも事実であろう。
あらためて考えてみると、世界各地での民族紛争や国家間の侵略戦争は、はるか昔から絶えることなく続いている。戦後70年間、幸いにして戦火を交えることのなかった私たちにとって、対岸の火事であったものが、今我が身にその火の粉が降りかかってきたのである。
この過激派の言う「十字軍」とは、11世紀末から13世紀に及ぶキリスト教によるイスラム討伐の歴史的事実を指すが、また一方のイスラム教も、戦いを通して布教と侵略を進めてきたその歴史において差異はないといえるだろう。
しかし私たちの仏教というのは、二千五百年という長い歴史の中で、武力を行使して布教を展開したこともなければ、宗教的大義をかざして他国の領土を侵略したり、虐殺を繰り返したことは一度もなかったのである。
歴史を振り返ると、この仏教がインドで繁栄したのは紀元前3世紀から紀元後3世紀頃である。その後インドの仏教はヒンドゥー教の隆盛によって衰退していったが、もう一つの衰退の要因はイスラム教の侵略であった。それは今日でも多く残存する破壊された仏教遺跡の姿を見れば明らかであろう。その後、長い時を経て今日の仏教があるが、この宗教と戦争という歴史を振り返った時、仏教の根本には、たとえ異なる意見があるにせよ、それを一方的に否定し排斥するのではなく、大きく包み込んでしまう包容力、寛容性があることに気付くのである。
もちろん暴力と恐怖を武器として改宗を迫る組織などは、とても宗教とは呼べるものはなく論外であるが、私たちは今ここであらためて、世界にはイスラム教をはじめとして、さまざまな宗教が存在する事実を考えてみなければならない。
現在の日本では、多様な宗教が存在し信教の自由が保障されているが、私たちは幸いにして仏教の広まった国に生を受け、なかでも「諸経の王」ともいわれる法華経を依拠の経典とする日蓮宗に仏縁を結んでいるのである。この法華経というのは、人々の苦悩を救うために釈尊が説かれた経典であるが、聖徳太子のあの有名な「和を以って貴しと為す」のことばの基には、太子の法華経信仰が流れていることはよく知られている。また法華経はこの世界を安穏で平和な仏国土にしていく教えであり、それは日蓮聖人の「立正安国」ということばに集約されている。
今、世界では宗教者会議が盛んに展開されている。日本においても各仏教宗派間のみならず、教義、信条を異にする宗教間においても対話や交流が活発に行われる時代である。
このような時代であるからこそ、私たちは多様な宗教の考えを知ることで、私たちの法華経を基とした日蓮聖人の教えが、いかに世界の人びとの安穏で平和な社会を願うものであるか再認識できるのではないだろうか。
繰り返しお題目をお唱えして、世界の平和と安穏を祈りたい。

(論説委員・渡部公容)

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