論説

2023年8月20日号

汽笛一声島原を

「汽笛一声新橋を」と長い歌詞の「鉄道唱歌」を明治生まれの祖母はよく唄ってくれました。
上京してJRで新橋から品川方面へ向かうときは、流れる風景に合わせてこの明治の歌を口ずさんでいます。2番には「右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消え残る 名は千載の後までも」。次に「窓より近く品川の 台場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ 山は上総か房州か」と続きます。品川から高輪にかけて江戸開闢の折に加藤清正公は屋敷を構え、池上本門寺の境内・伽藍の整備に尽力しました。江戸の玄関口を押さえた清正公の先見性はさすがです。日蓮聖人にゆかりのある房州や富士山を望めるこの沿線は日蓮宗にとっても大事な場所です。通過のたびにこの歌と歴史に胸を熱くします。
久々に上京したとき、この沿線の大規模な開発と建築ラッシュにはびっくりしました。高輪界隈には延々と大型ビルが建設されているではありませんか。人口減少による社会の縮小が懸念される将来、これだけのコストをかけての事業が必要なのかと疑問に思うのは私だけでしょうか。
地方では過疎が進むばかりです。あまりにも対照的な都市部の開発が不安になります。切り捨てられていく地方の町や村はどうしたらよいのでしょう。そこにあるお寺もどうしたらよいのでしょうか。日蓮聖人の「花は根にかへり、真味は土にとどまる」(『報恩抄』)にあるように、私たちが生まれ育った郷土の大地に根を張ることによって国土全体に花を咲かせることができると思います。聖人の法華経観は国土安穏、立正安国の実現を目指されたことにあるはずです。だからこそ京都に上らず地方の関東で最期まで伝道されたのでしょう。現代のように一部の国土に豪華なあだ花を咲かせても、いつかは全体が枯れ果ててしまうでしょう。正しく『立正安国論』の提言通りです。
さて明るい話題に転じます。先月の7月23日は熊本本妙寺で413回目の「頓写会」が営まれました。清正公の1周忌に朝鮮出身の高麗日遙上人が追善のために法華経一部を書写し納めたことに因み、翌年の3回忌には寺内全ての僧侶が一晩で書き上げ(頓写して)奉納したことから始まりました。
拙寺・長崎県島原市護國寺は高麗遙師の開山でもあり、年間の写経を納めるために檀信徒と参拝を続けています。近年まで夜を徹して賑わっていましたが、年々衰退してきました。加え熊本地震、コロナと夜店もなくなり、お参りも激減し、清正公のご威光もどこへと残念でなりませんでした。しかし、今年は8年ぶりに夜店が並び活気を取り戻したのです。子どもたちが嬉々として走り回り、同伴の大人たちで賑わいました。清正公もさぞお喜びになったことでしょう。歴史と伝統、出店と子どもの威力に改めて感じ入った頓写会でした。
拙寺では江戸時代から島原城で上演されている「薪能」の事務局を引き受け、島原城天守閣前で毎秋開催して、今年で41回になります。プロの能楽師に負けない地元の子どもたちの狂言の声が天守閣にこだまし、その声が魔を払います。頓写会には遙かに及びませんが、荒廃していく地方に残る歴史と文化を根っ子として、将来の花が咲いてくれればと微力を尽くしています。子どもの声を汽笛として「汽笛一声島原を」と明るいリズムで未来に向かいます。今年は10月7日の観世流の「船弁慶」です。幽玄の舞台はどこにも負けません。皆さまもお出かけになりませんか。なぜか入場無料です。   (論説委員・岩永泰賢)

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2023年8月1日号

絶対平和の唱題運動を進める時

■日蓮聖人身延御入山750年
今年は日蓮聖人が身延山に御入山なさって750年になる。
その慶節の日の5月17日、身延山には日蓮宗青年僧250人による勇壮なる撃鼓唱題が響き渡った。
当日行われた宗門の慶讃法要に、全国から参集した青年僧たちが、身延山の門前町通りを撃鼓唱題行進し、菩提梯を登って本院に至った。さらに入山会の大法要にも撃鼓唱題し、日蓮聖人に報恩の誠を捧げた。身延山は撃鼓唱題で感激のるつぼと化したという。身延山の日蓮聖人は、さぞかしお悦びになられたことであろう。
■世界平和・仏国土顕現の誓願
佐渡から鎌倉に帰られた日蓮聖人は、4月8日に平左衛門尉に会って、「蒙古は今年中には攻めて来るであろう。法華経の祈りでなければこの国を救う道はない」と進言されたとある。
しかし幕府はこの聖人の進言を容れることはなかった。「三度諫めて容れられずんば去れ」との古来の教えに従って、聖人は身延山へお入りになられた。
身延山へお入りになる道すがら、佐渡で完成された法華経信仰の三大秘法、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇についてお考えになり、身延山に到着するとそれを『法華取要抄』として著されている。つまりお題目により世界平和・仏国土の顕現を目ざし、人類の救済を目ざすことを確認されている。
身延山に到着された聖人は、東天が開けていて大日天子を拝める場所を選ばれて、御草庵の処を定められた。
身延山第15世行学院日朝上人の『元祖化導記』によると、聖人は持仏堂での朝勤の後、毎朝「日天の御前に於いて」唱題読誦をされたとある。世界の平和、日本の平和、仏国土の顕現を祈ってのことであったと思う。
■世界一の法華経の行者
聖人が身延山へ入られたその年の10月、蒙古が日本に襲来した。つまり文永の役である。『立正安国論』で予言された「他国侵逼難」が現実化し、聖人の予言がすべて的中したことから、聖人は『撰時抄』を著作し、そのなかで「日本第一の法華経の行者」から「閻浮第一(世界一)の行者」としてのご自覚をお示しになられた。まさに世界の柱、世界の眼目、世界の大船となられたのである。
いま私たちは世界一の法華経の行者を奉っている。戦争があり疫病が流行し、天災地変が続き軍拡競争が始まっている不安な現代世界を救ってくれる柱を見失ってはならない。日本の仏法のお題目は、今や世界を救う仏法である。日本の誓願、世界平和・核兵器廃絶も、世界の仏法で祈ることでより力が入る。
■石橋湛山先生の没後50年
日蓮聖人身延御入山750年に合わせたように、今年は石橋湛山先生の没後50年を迎えた。
政治家であり、日蓮主義者であり、世界平和主義者であった湛山先生は、数々の貴重な意見を遺されている。
当時の『大崎学報』に寄せられた文に、
「(現代の世の中)全体が、実に重大な危機に立っていると思われる。愚案によれば、宗祖に帰る以外にない。言葉をかえれば、宗祖を現代に生かしまいらせることである。もし、宗祖が今日在世ならば、いかにせられたか、これこそわれわれの考えなければならないことである。それはただ宗門をよみがえらせるだけの方法ではない。まさに日本を、そうして世界を救う道である」
とある。
今や世界の仏法・絶対平和の唱題運動を進めていく時である。
(論説委員・功刀貞如)

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    中尾堯著
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    日蓮宗新聞社編
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