論説

2023年12月20日号

いのちに合掌 一日の命は三千界の財にも過ぎたり

■人として生まれるは難し
経前や唱前に唱える「礼讃文」がある。
「この世に人と生まるるは難く、み仏に遇い奉ることまた難し。いま幸にして、この受けがたき人身を受け、あいがたき法華経に遇い奉る。つつしんでご本仏に帰依し奉る」。
長年、消防団活動や防犯活動に従事してきた功績が認められて、当山の護持会長が今年の春の叙勲の栄誉に輝いた。その記念に、当山の参道にこの礼讃文の碑を建立してくれた。
この礼讃文の原典は、日蓮聖人の『寂日房御書』にある。
日蓮聖人は、末法にお題目を弘めてこの人類世界を平和な仏国土にするために、この世に遣わされた上行菩薩のご再誕である。ご自身で世界一のお題目の行者といわれている。
私たちも人として尊いいのちをいただいて「世のため、人のため、世界平和のためになって天命を完うし、幸せな人生を送って来い」といわれてこの世に生を受けた。
この礼讃文の記念碑を拝して私たちは人として生まれてきたいのちの尊さを思い、改めて世のため人のため、世界平和のために生きなければならないと、思いを新たにしたことである。
■殺してはならない
いま人類世界では、あちこちで戦争が起きている。
毎日毎日死者の数が伝えられ、戦災の中で、悲惨な生活を余儀なくされている人びとの姿も報道されている。
幸せに生きなければならない人びとが、集団的に殺されたり、危機的状況の中で生きなければならない戦争はしてはならない。だから仏陀は「殺してはならない。殺させてはならない」と戒められた。(ダンマパダ130偈)
第2次世界大戦で、若い人びとを始めとして、多くの戦争犠牲者を出した日本は、敗戦の憂き目を体験する中で、「2度と戦争はしない。核兵器はこの人類世界から廃絶しなければならない」と誓った。それが日本国憲法第9条の戦争の放棄である。
しかし日本1国だけで戦争の放棄は守れない。世界中の国々が、こぞって戦争の放棄をしなければ、人類世界の平和はこない。だから日本国憲法は「世界の宝」なのだといわれる。それだけに日本の使命は重いし、その使命を強く自覚しなければならないと思う。
■立正世界平和の祈り
私たちお題目を唱える者の宗門の宗是は「立正安国」である。今や世界は1つである。立正安国は立正世界平和であり、お題目を唱える私たちの信行目標も世界平和である。
世界が平和であってこそ、日本も平和、各国も平和である。この地球世界は、法華経のご本仏が司る世界国土である。世界国土が平和であってこそ、人類のそれぞれの「いのちの尊さ」が守られ、地球上に仏国土が顕現される。そこには人類1人ひとりのいのちが、三千界の財にも過ぎて輝いてくる。その世界を目指せと、日蓮聖人は「一闡浮提第一のご本尊」をお示しになられた。
その世界平和のために、私たちにはお題目の祈りがある。お題目を唱えているだけでは平和は来ないという人がいるかもしれない。しかしそんなことはない。
お題目は、宇宙の大霊ご本仏さまの大慈悲心であり、自在の大神力である。そのお題目で、世界を平和へと導いてくださると信じることだ。
『立正安国論』に「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば即ち三界は皆仏国なり。…十方は悉く宝土なり」とある。
(論説委員・功刀貞如)

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2023年12月1日号

本阿弥家の法華信仰

戦国時代の終結にあたり荒廃した京都の町を復興させたのは、「皆法華」と呼ばれた法華町衆でした。茶屋家、後藤家、角倉家、狩野家など上層町衆があげられますが、江戸時代初期には本阿弥光悦(1558~1637)がその牽引者でした。光悦は刀剣の研磨や鑑定を家職としながら、陶芸や蒔絵など多くの芸術品を残しました。令和6年1月16日~3月10日まで特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(東京国立博物館)が開催されます。光悦を支え、光悦と共に生きた本阿弥家の人たちはどのような生き方をしたのでしょうか。
光悦の父、光二は片岡家から婿養子に入りました。天正年間、本阿弥家の菩提寺本法寺が現在の小川通に移転した際、光二は移転工事の総監督を務めました。本堂落慶には三十番神を寄進し、本法寺中興・功徳院日通上人から紺紙金泥法華十界曼荼羅本尊を賜りました。「紺紙金泥本尊は尋常普通の信心にては得難きものなり」(光悦寺故前田日延上人談)とあり、光二の篤い信仰が理解できます。本阿弥一門では、菩提寺への奉仕が子孫に継承されていきました。
光悦の母、妙秀は信仰が篤く一門の支柱的存在でした。「少しにてもよき事あれば殊外悦びほめけり。人の親の瞋恚をおこして子を折檻するを見ては浅ましき事と申されける」(『本阿弥行状記』)。妙秀は、親が自分の怒りにまかせて子どもを厳しく叱ることをいさめ、むしろ子どもの良い点を褒め讃え、子どもの心が萎縮しないように心がけるべきと教えました。現代の子育てにも通じる考え方です。減点主義ではなく加点主義こそ子育てのコツなのです。また「金銀を宝と好むべからず、一大事の兄弟中あしくなり、恥をさらすも、多くは金故なり」(『本阿弥行状記』)と金銭欲を戒めています。
光悦の嫡子は片岡家から来た光瑳です。光瑳は本阿弥家開職以来、拭い(刀身を青黒く着色する)の名人でした。「然るべき寺院を四カ所迄建立、一カ所は光瑳が才覚にて法華の鎮所を建立す、常照寺是なり」(『本阿弥行状記』)。父光悦の常照寺土地寄進に続いて、光瑳は堂宇を建立しました。親子の信仰が見事に寺院建立として結実したのです。光瑳の長男光甫(空中斎)は、祖父光悦から人格的感化を受け、特に書・茶の湯・作陶・彫刻などの諸芸能を伝授されました。『本阿弥行状記』を著し、鷹峰で過ごした晩年の光悦を伝えました。『本阿弥行状記』は一族への伝承のために記された内容ですが、光悦を知る貴重な資料です。
光瑳の二男本通院日允上人は、鷹峰檀林第2世知見院日暹上人(身延山第26世)の門下となり、弟子勝光院日耀上人、孫弟子了義院日達上人とともに「允・耀・達」3師として尊崇されました。「かくの如く弟子、法孫に耀師、達師の如き高僧を出したる允師の功運や大にして、又かく名高き日允上人を本阿弥家より出したるは実に同家の名誉なり」(妙顯寺故河合日辰上人談)。日允上人は、京都妙覺寺、本法寺、中山法華経寺の歴世となった碩学です。
光瑳の妻妙山は、「誕生日というのは出産のため母は大変な苦しみを受け、命も危ない目にあった日である。だから誕生日には生きものを放生して供養し、人に物を施し、仏祖三宝に供養すべき」と説きました。誕生日は母難日として感謝すべきことを教えたのです。大曼荼羅に香花飲食を供え、合掌して本尊を拝し、目ばたきもせず題目を唱え、合掌した手を口元によせ、両眼をふさぐように臨終を迎えたといいます。まさに法華経信仰者として理想的な臨終正念を迎えました。法華信仰の篤かった本阿弥家の人たちから、生きる智慧を学びたいものです。  (論説委員・奥田正叡)

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  • 名句で読む「立正安国論」

    中尾堯著
    日蓮宗新聞社
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  • 日蓮聖人―その生涯と教え―

    日蓮宗新聞社編
    日蓮宗新聞社
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正法
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