論説

2024年6月20日号

護ることの意義

4月20日号の本紙上で、「千葉県市川市中山法華経寺『中山法華経寺文書』が国の重要文化財に」の見出しが報じられた。文化庁に設置されている文化財審議会は、3月15日の会議において法華経寺に恪護(護り保持すること)されてきた839通の古文書類を重要文化財に指定するよう文部科学省へ答申した旨に言及した記事だった。その後、『中山法華経寺文書』(この名称は正式な登録名称となった)は、東京国立博物館本館で、4月23日~5月12日の20日間、国宝・重要文化財に指定される美術工芸品の一部として展示された。
839通の古文書が一括指定を受けた意義は大きい。鎌倉期から明治時代に及ぶ約650年間に法華経寺歴代の貫首が累々と紡いできた恪護の歴史が、それぞれの時代状況を示す重要な歴史的史料であることが指定の重要な理由となった。同様の古文書として今回指定を受けた福井県敦賀市の「西福寺文書」(556通)があるが、通数において圧倒的に中山法華経寺文書が勝る。
日蓮聖人のご真筆を残していかなければならないという営みは、聖人在世の頃から始まった。中山法華経寺の歴史は、一方では日蓮聖人ご真筆恪護の歴史と言い換えても過言ではないだろう。それは、法華経寺の前身である若宮の法華寺を開創した日蓮聖人の大檀越富木常忍、出家して日常と名乗った上人の蒐集活動が端緒である。爾来、法華寺第2世日高、第3世日祐による蒐集の記録は『本尊聖教録』として伝えられ、現在の中山法華経寺「聖教殿」名称の由来でもある。
3代にわたる蒐集と恪護は、法華寺と本妙寺が天文14年(1545)に合併し法華経寺となってからも中山門流の規矩となったが、時代が下った大正11年(1922)にご遺文の紛失事件が起こった。半年後には所在が明らかとなり、ことなきを得たが、この事件を重く捉えた法学博士の山田三良氏は、自身の率いる法華会の同志らとともに、聖人のご真筆の保管に万全を期すべきことを法華経寺側に提唱して、翌12年7月には「中山宝藏建築要綱」を立ち上げた。折り悪く9月1日に関東大震災が起こり、数多の犠牲を顧みて、建築計画そのものが頓挫しそうになった。しかし、大震災は新たに建造しようとする宝蔵の建築に明確な仕様を与え、耐震性や耐火性を十分に考慮した建築様式を具えた「聖教殿」となり、昭和6年(1931)5月3日に落慶法要が営まれ、恪護の大前提が完成した。
中山法華経寺、日蓮宗、法華会は恪護の在り方を3者による共同運営に依るとした「聖教護持財団」を発会させ、3者がそれぞれに聖教殿の鍵を持ち、年1回文化の日頃に「お風入れ」が行われていた。
雑駁な表現で、とてもその価値を十分に示せないが、日蓮聖人のご遺文、特に『立正安国論』や『観心本尊抄』は国宝指定済みであり、今回の839通もの古文書も重要文化財となったことで法華経寺に恪護されているほとんどの典籍は、国家が認める価値を有した。7世紀に及ぶ恪護の営みは、中尾堯立正大学名誉教授の真摯な働きかけを基として評価の対象となり今回の慶事となった。
しかし、日蓮聖人の「皆帰妙法」の祖願達成は、未だ遠い道のりである。法華経の修行の原点に立ち返り、「受持」することの継続が恪護という実を結んだことを善き手本として、日々に妙法蓮華経を読み、記憶し、理解しようと努力し、体現する営み=唱題を継続しよう。
(論説委員・池上要靖)

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2024年6月1日号

富士は日本一の山

初夏の富士山の美しさを思いながら、大型連休のオーバーツーリズム(観光公害)の新聞記事について考えさせられました。富士山にも、登山客が殺到し、今後の入山規制や料金徴収、登山鉄道敷設などの問題が提起されていたからです。
富士山が世界文化遺産に登録されて今月で早や11年になります。当時、論説で富士山が取り上げられていましたが、改めて今日の視点で富士山について考えてみます。その記事は、世界文化遺産として登録された喜びと平和の象徴として大切にしたいという内容でした。それは良いとしても、世界遺産の登録や観光資源としての活用や鉄道敷設などという現代の価値観だけで霊峰富士を仰ぎ見て良いのだろうかと思ったのです。
富士山は人の力で築けるはずもありません。長い火山活動の中で生まれた人智の及ばない霊山であり、有史以前から人びとの心の支柱になっていたはずです。しかも、これからもずっと霊峰富士と崇められ、日本的な美しい容姿で聳え続けてくれるはずなのです。
古くは1400年前の聖徳太子が甲斐の黒駒で富士山を飛び越えたとか、その後の役小角が空を飛んで富士に登り修行したとかの伝説が残されています。いずれも法華経を大事にした仏教者です。
日蓮聖人も若い頃の遊学の途や岩本實相寺での研鑚、鎌倉、伊豆、富士での布教、晩年の身延山奥の院思親閣から仰がれた富士山に大きな法華経弘通の覚悟と希望を持たれたに違いありません。富士の信徒南条氏の母尼宛のお手紙には「この法華経を持つ人が天照大神、八幡大菩薩、富士千眼大菩薩をどうして捨てることがあろうか」と述べられ、富士浅間神社を大事な守護神として挙げられています。それが後の富士山中腹5合5勺の天地の境に、自ら書写された法華経を埋経され、現在、身延山久遠寺の直轄地である経ヶ岳の伝説にも繋がります。もちろんこの法華経伝説の関わりだけでなく、日本人は素直に富士山の美しさに感動する感性を長い歴史の中で育んできました。しかし現代、この富士を敬い、郷土を愛し、国家国民に奉仕するという意識を持った日本人は急激に減少しています。ましてや悠久の富士に諭されるように、今を生きる人だけではなく、泉下の過去に生きた数多の同胞や、これから生き続けていく幾多の人びとに思いを馳せ、先祖の精霊、未来への久遠の生命を尊重するのが宗教者の使命です。
しかし、私たちはどうでしょう。それだけの気概を持って未来の国家を案じているでしょうか。その未来を決めるのはまず政治です。しかしまた、この政治が機能を果たしておりません。目先のことに追われて生き残りに躍起となる政治家や宗教者がどうして国家国民の幸せや未来を考えることができるでしょうか。
伊集院静の小説『いとまの雪』にある山鹿素行の言葉「生きるは束の間、死ぬはしばしのいとまなり」を自省を込めて噛みしめています。軍学者・素行は「天下国家を思わば、我一人我が家のみの為に使う兵、民これによりて死して国滅ぶ」と言っています。国家安穏を祈られた日蓮聖人は「一身の安堵を思わば四表の静謐を祈るべし」と、自らの幸せを願うなら、まず社会の安穏を祈らなければならないと教えられています。
この便利すぎる現代は、いつでもどこでも、今現在の富士山をライブ中継で見ることができます。「やっぱり富士は日本一の山」と、改めてこのライブの富士山を拝みながら、希望を持って明日に向かいたいものです。(論説委員・岩永泰賢)

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