論説
2025年6月1日号
「80歳の壁を超えて」―人生百年時代を生きる
総務省の令和6年9月15日の報告によると、我が国の総人口が減少傾向にある一方、65歳以上の高齢者人口は過去最多の3625万人に達し、総人口の29・3%を占める。75歳以上の人口も2076万人となり、超高齢化社会が進行している。
この状況下、高齢者の運動・感覚機能の低下、慢性疾患の増加、免疫力の低下に加え、生活不安、老老介護、独居といった多岐にわたる課題が深刻化している。「高齢化」をいかに受けとめ、どのような心構えで臨むべきか、現代社会の重要な問いといえよう。
今年、喜寿を迎える筆者は、友人から贈られた和田秀樹著『80歳の壁』から多くの示唆を受けた。高齢者専門の精神科医である著者は、80歳を超えた人を明るい希望を持って生きる「幸齢者」と名付け、従来の健康常識に新たな視点を提示している。例えばガン予防のための過度な食事制限や禁酒、禁煙は、すでにガンを抱えている可能性のある幸齢者にとっては必ずしも有効ではなく、むしろストレスを軽減し、気楽に生きる生活が免疫力を高め、ガンの進行を遅らせる可能性があると指摘する。80歳の壁を乗り越えるためには過度な我慢をせず、好きなことに焦点を当てた生き方が重要だと提唱している。
折しも3月に日蓮宗生命倫理研究会主催の「心といのちの講座」が、「健やかな老い」をテーマに開催された。溝口元立正大学名誉教授は、老いの意味や捉え方は時代や文化によって変化し、寿命の長さだけでなく健康寿命、生活の質(QOL)が問われていると指摘。加齢とともに記憶力の衰え、免疫力の低下などの生理的・心理的変化がある一方で、言語性能力は維持され、向上することもあると述べた。さらに、社会貢献活動などへの積極的な参加が、寝たきりや認知症の予防、そして長寿につながることも示唆した。
仏教の視点から「老い」を考察すると、釈尊(ゴータマ・シッダールタ)の出家の動機は、避けることのできない生老病死の四苦の解決にあった。諸行無常の教えは、老いは人生における必然的な過程であり、自然の摂理としてあるがまま受け入れるべきことを示している。
日蓮聖人の教えからは、『妙法尼御前御返事』(聖寿57歳)には人の寿命は無常であり、老いも若きも定めなき習いであるとし、「されば先ず臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」と若い時から老年まで、人生がいつ終わっても、良き臨終としての悔いの残らない生き方を心がけるべきことを教示されている。また『崇峻天皇御書』(聖寿56歳)には、人として生をうけることは稀有なことであり、「百二十まで持て名をくたし(腐)て死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」と、いたずらに長寿を願うのではなく1日でも意義のある生活を送ることの重要性を強調されている。
日蓮聖人が佐渡流罪を赦免され鎌倉に戻られた際に、周囲の人びとはそのご労苦をねぎらい、穏やかな晩年を送ってもらいたいと願ったかもしれない。しかし日蓮聖人は環境の厳しい身延の地に住まわれ、老いてもなお法華経信仰に全身全霊を捧げられたのである。
私たちも日蓮聖人の精神に学び、近年の知見も踏まえながら、加齢による変化を自然なものとして受け入れ、法華経、お題目信仰の中にこそ安穏な人生があると心得るべきである。人生百年時代の今日、与えられた命に感謝し、お題目を唱えて毎日を大切に過ごすことによって、法華経の「更賜寿命」(さらに寿命を賜え)の教えも叶うものといえよう。(論説委員・古河良晧)




















