オピニオン
2017年12月1日号
最近、世の中はどこへ行ってもデジタルが
最近、世の中はどこへ行ってもデジタルが幅をきかせている。携帯電話はPHSを除いて全てデジタルになったし、ラジオ、テレビも表示だけでなく、画像や音声までもがデジタルだ。確かに画像の細かさや美しさ、音の良さは科学技術の進歩をまざまざと見せつけていて、アナログは昔のもので、デジタルこそが新しいもの、正しいものと思ってしまう▼デジタル的思考と言えばいかにも先進的に聞こえるが、早い話が物事を1か0かで考えるのがデジタルなのであって、その間にも数値があると考えるのがアナログだ。これは、そのまま人間の思考にも当てはまる。イエスかノーをすぐに決める人がデジタル人間で、そうでない人がアナログ人間だという。はたしてこの両者に優劣はあるのか▼小生は、デジタルと聞くと技術を想像し、アナログと聞けば芸術を思い描く。土を焼いて茶碗を作る。完成したものが水や茶を飲むことができればそれは技術的な目的を達成したことになる。その茶碗に僅かな色をつけたり、形を変えてみるとこれが芸術になる▼両方が必要なのではないか。世の中の出来事を見るとき、さまざまな要因を総合的に見る必要があり、それにどう対処するかは、どこかで決断しなければならない。決断した事は自信を持って進めないと信頼してもらえなくなる。八正道を行じて中道を行くに似ている。様々な情報を入手して、正しく判断し、人の道を外れぬように意義のある人生を送りたいものだ。(寮)

人の振舞~合掌礼~
ある日ショウさんと世間話をしていた。「小さい頃からの癖で、すぐ手を合わせちゃうの」とショウさん。ありがとうの時も、ごめんねの時も、こんにちはの時も、さようならの時も。「すぐ手を合わせちゃうから、友だちに〝私はまだ生きとるんだから手を合わせないでよ〟と怒られちゃうだわ」と話してくれた。
そこで私は、ある菩薩さまの話をした。「この菩薩さまは、僕やショウさんの心に仏さまの種があって、〝あなたは、その種を一生懸命育てて、仏さまになるお方だ〟と、いろんな人に手を合わせて頭を下げられてたんだよ。なんだかショウさんと似ているね」。そう話すと「菩薩さまも生きとる人に手を合わせとったんだね。なんだか嬉しいね」とはにかんだ。
日蓮聖人は「釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と仰っている。「人の振舞」とは、心の中の仏さまに手を合わせることなのかなと、90歳のショウさんに教えて頂いた気がした瞬間だった。
(愛知三河布教師会事務局・内野智翔)

山梨2 歳末助け合い托鉢行脚
【山梨2】「歳末助け合い托鉢行脚」が行われた。これは、管区4つの組に分かれ、11月末から12月にかけて、各地区を僧侶、寺院役員等と共に太鼓を叩いての唱題行脚をするもの。
今回で50回の節目を数えるこの行事は地域の恒例となっており、太鼓の音が聞こえると、多くの方が募金に出てきて下さり、多くの志納金が集まった。



















