全国の通信記事
2015年7月27日号
福井北 「第3回こども夏寺」
【福井北】7月27・28日、福井県北部日蓮宗青年会(竹田清秀会長)主催の「第3回こども夏寺」が、福井市妙長寺(山内是正住職)で開催され、こども十八人が参加した。
まず、おつとめ講習や講話で、自分や周りの人々の仏性・仏種に気付き、思いやり・優しさの気持ちで互いに合掌し合うという合掌の「心」を学んだ。
昼食の流しそうめんではカップ一杯にそうめんをすくって喜ぶこども達の姿が見られた。午後からは、地元のソフトウェア企業、ナチュラルスタイルの協力で、ゲームプログラミングを体験。苦戦しつつも、普段何気なく遊んでいるゲームが、大人の努力で作られていることを学んだ。
二日目には、宿題の時間の後、県立こども歴史文化館を見学。地元の歴史や偉人について学び、特別展「妖怪展」を楽しんだ。
こども達の感想文からは、みんなと一夜を過ごしたことや、流しそうめんや夜のバーベキューが楽しかった、正座はつらかったが、みんな修行すれば仏さまになれることを知った、といった声が聞かれた。また、中には講話を基に興味を持ち、仏さまを自由研究のテーマとして選び、詳しく質問するこどももいた。
2015年4月17日号
光悦真筆を特別公開 福井北・圓壽寺で
【福井北】 四月十七日、福井北・圓壽寺(森恵司住職)で昨年十一月に発見された本阿弥光悦の書状が同寺で特別公開された。
同寺本堂には、「寛永の三筆」の一人、光悦の書状が間近で見られるとあって、僧侶や檀信徒のみならず地元住民や多くの歴史ファンも訪れた。
午後からは発見者の中尾尭立正大学名誉教授の講演も行われ、僧侶や檀信徒五十名以上が聴講した。中尾師は、北陸教区教学研修会の講師を務めた際、森住職の要請で圓壽寺を訪れ、江戸時代から伝わる木箱の中の掛軸群を鑑定していた際、偶然書状を発見したエピソードを述べ、「光悦の書がこの寺にあるとは夢にも思わなかった。」と発見当初の驚きを語った。また、書状の内容については、加賀前田家三代目・利常の生母、寿福院の依頼で京都妙顯寺の本堂額を光悦が揮毫し、その礼として寿福院から贈り物がなされ、それに対して前田家の重臣に光悦がしたためた礼状であり、焼失して現存しない額の存在を証明する貴重な史料であるとした。
寿福院は越前府中(現・福井県越前市)の出身で、熱心な法華信者として知られ、能登妙成寺や身延山五重塔などに寄進している。
檀信徒からは、「解説を聞いて当時の時代背景が手に取るように分かった。貴重であるので資料館などで保存してほしい。」といった声が聞かれ、森住職は、「光悦真筆とわかって以来、応急的に博物館に委託してきましたが、ようやくこうして檀信徒はじめ皆さんにご覧頂くことができて嬉しく思います。」と語った。 (山内是順通信員)
2015年4月8日号
中條令紹上人の本葬儀
【福井北】大本山清澄寺第十二代別当を務めた中條令紹師(東周院日傳上人)が、四月八日、世寿七十九歳で遷化された。
本葬儀は四月十一日、住職を務めた福井市大丹生町大乗寺で営まれ、僧侶延べ約百人、一般檀信徒延べ約五百人が会葬した。
大導師は別当在任時の執事長、佐々木光道師(千葉南・高照寺住職)が務めた。森恵司福井北所長の総長弔辞代読に続き、親交の深かった垣本孝精師(岡山・宗蓮寺住職)が弔辞を読み、参列者の涙を誘った。
中條師は昭和三十五年より海外開教師として北米に赴任。在米中はスタンフォード大学大学院言語学科で聴講生として学ぶ傍ら、語学力と見識を見込まれて十年間総長補佐として活躍し、帰国後はその経験を活かして市井の人々に私塾で英語を教えた。昭和五十一年に帰国し、翌年、大乗寺を師父、故中條是龍師より継承した。布教師として活動しながら管内要職を担い、平成五年に宗会議員に当選。平成十年より宗務院内局に入り、国際開教室室長、財務部長、総務局長などを歴任、平成十七年には一級法功賞を受けた。平成十九年より平成二十二年まで大本山清澄寺別当を務めた。



















