全国の通信記事
2026年4月19日号
長崎 鐘楼堂除幕式・落慶奉告式
【長崎】四月十九日、佐世保市鹿町町の圓徳寺(山田晴暁住職)において、鐘楼堂除幕式ならびに落慶奉告式が厳修され、新たな法音の誕生を言祝いだ。
圓徳寺には、開山上人が将来の伽藍整備を期し、境内に四百本もの杉を植樹された歴史がある。「将来、必ず寺の助けとなる時が来る」――。その杉のうち一樹が残り、その慈念を語る象徴として、長く護持されてきた。
杉の木そのものが新たな伽藍の一部となることは叶わなかったものの、その本懐は現代を生きる世代へと受け継がれた。寺報『杉の子』として息づくその意志は、鐘楼建立参列者へ授与される「守札」へと形を変え、一人ひとりの手に分かち合われた。
この歴史ある境内に新たな息吹を吹き込んだのが、一人の寄進者の純粋な信仰心であった。その方は決して裕福な境遇ではなく、一介の会社員として七十五年の長きにわたり、節制を重ねては実直に蓄えてきた私財のすべてを、この度の建立に捧げられたのである。「父母に褒められる最期にしたい」と、亡き父母への報恩の誠を志したその方の真摯な想いに、住職ならびに檀信徒が深く共鳴し、寺門一丸となってこの度の落慶へと漕ぎ着けた。
除幕を経て、清らかな鐘の音が初めて境内に響き渡ると、参列者は静かに合掌し、報恩の誠を捧げた。
天を仰ぐ杉の志は、今、鐘の音となって再びこの地を巡り始める。その清らかな響きは、形を変えて受け継がれる信仰の証として、永く人々の心に寄り添い続けるだろう。
2026年3月29日号
長崎 原城一揆死没者慰霊
【長崎】去る3月29日。長崎県南島原市 良国寺(楠本 霅昇住職)は、近隣日蓮宗寺院有志と共に南島原市 原城址において原城一揆死没者慰霊行脚並びに法要を行った。
今でこそ世界遺産として登録され、観光名所として賑わう原城址であるが、約390年前、キリシタン信仰がなかったこの地において、幕府軍12万5千人の軍勢によって、原城に3万7千人余りの立てこもっていた反乱(農民)軍が非業の最期を迎えた所であることは忘れてはならない。
この戦により両軍合わせて約4万人の人命が失われ、国内の農民一揆として外に類を見ない歴史であり、日本史において「島原の乱」のフレーズは皆様も記憶に残っていることでしょう。
桜舞う当日、鶯の鳴き声と共に檀信徒・市内外民ら約60名が参列し、当地一帯に散乱していた遺骨を集め納められた「ホネカミ地蔵」前にて一読・献花が行われた。その後、広場にて慰霊法要を行い、供物並びに10万枚のお題目写経が、眼前の有明海へと供養のため散舞された。
楠本住職は最後に「この地に住む者として、歴史的事実は厳粛に受け止め、この戦において亡くなられた全ての方の慰霊は続けていかなくてはなりません。今の時世を鑑み、何が大事なのかもう一度考え直していきましょう」と挨拶。
信仰する者として・宗教者として、もう一度改めて考え直さなければならない時世に、今の私たちはいるのではないかと痛感した。
2026年2月14日号
長崎 信徒青年の集い
【長崎】日蓮宗長崎県信徒青年会(金子宗弘会長)は、宗務院・長崎県宗務所の後援のもと、去る二月十四日~十五日、今年で二十回目となる「信徒青年の集い」を開催。僧侶・檀信徒約七十名が参加した。
主会場となった南島原市 妙法寺(吉田恵徳住職)において、結集法要、総会を行った。
その後、特別講師として佐世保市 日親寺副住職 永石雄亮上人が「高座説教の歴史」の講義と、日蓮宗特有であり言説布教の形の一つである「高座説教」を行った。比較的若い参加者が多い(上限六十歳)信徒青年会にとって普段目にすることがない高座説教の間と雰囲気・お祖師様の御伝記に参加者全員が真剣に耳を傾けていた。
二日目は、島原市 護国寺(岩永泰賢住職)に移動し、二月十五日が釈尊涅槃会ということもあり、一年に一度の涅槃会図の御開帳並びに蘇生三十番神の御開帳を行っていただいた。歴史と伝統を基に、生命の黄泉がえり・価値観や考え方の共有・日々の蘇りを、参拝することによって学んだ。
二日間の研修によって、参加者は「善根功徳」をおみやげに帰路についた。
次世代へのアプローチ。国内外において、日々様々な事象が起こる今日。これから先、私たちや次の世代が安穏な生活を送るためには、大人一人一人がしっかりとした意識や責任感を持ち、他力本願ではない法華経・日蓮聖人の教えのもとに、伝統教団としてもう一度考え直さないといけない「時」にきているのではないでしょうか。



















