オピニオン
2017年12月10日号
湯船に漬かり「あー」と叫ぶのは
湯船に漬かり「あー」と叫ぶのは体が緊張しているとき、「ふー」と声が漏れるのはリラックス状態だということを、ある新聞のコラムに教えられた▼先日、龍神堂でボヤを起こした。雪洞の電球の交換の時、いきなり「バチバチ」と音を発てたかと思うと、コードの2か所から火の手が上がったのだ。漏電である。記憶では雪洞が寄進されてから手つかずなので60年位前のコードだ。コードの表面は少しネバネバしていた。お堂から戻るのが遅いのを心配して来た妻と消火に当たり事なきをえたが、正直驚いた。想像を超えた驚きには声が出ないというは本当だった▼それにしても妻のその時の手際の良さには感心した。普段からそうではあるが慌てず、ことに当っていたのには頼もしささえ感じた▼数日前列車のチケットを買ってもらう時も、筆者のことを考えて、「席は窓側を」「揺れが少ないところを」。「そうそう、隣に人が来ない席と寒くない席を」と、にっこり笑って要望した。これには駅員さんも笑っていたというから、愛すべきおばちゃん力といえようか。以前赤瀬川原平氏が「老人力がつく」ということをいっていたが、「老い」をそのままに受け入れることも、希望をはっきり告げる「おばちゃん力」も、笑いに変える生き方は実に法華経的だといえよう▼今晩のお風呂は「あー」だろうか、「ふー」だろうか。どちらにしてもこのお風呂を入れてくれた人に感謝を忘れまい。(汲)

縁
すべての生きとし生けるものはお互いに生かし生かされています。自分の生命を知り、家族の力添えを知り、社会の仕組みを知れば、恩にゆきあたります。縁を感ずれば知恩に至るとも言えます。
亡くなった人に別れを告げる人生最後の弔いの場。そのかたちが今、大きく変わりつつあります。家族葬という近親者のみで行う葬儀。ごく身近な肉親だけで火葬に立ち会うだけの直葬。かっては親戚、地域にとって一大イベントとして亡き人を送った葬儀の変化は、人と人のつながりの希薄化、縁の縮小を象徴しているようです。
日本の住宅には縁側がありました。縁側は内と外をつなぐ開放的なコミュニケーションの場として機能していました。縁を結ぶ大事な場所だったのです。日本家屋に縁側が少なくなりました。「縁」「恩」は21世紀の人間関係を見直すキーワードではないでしょうか。そんな中で寺はどのような役割を果たせるのか考えさせられます。
(三重県布教師会長・冨田啓暢)

2017年12月9日号
千葉東 香取市大乗寺入寺報告式
【千葉東】香取市大乗寺で12月9日、第30世東條旨良師の入寺報告式が営まれた。旨良新住職は「師父の遺志を継いで、檀信徒とともに寺門繁栄に努力していきたい」と意欲を示した。
その後に営まれた第29世東條快秀(能寿院日秀)上人の本葬儀には約150人が参列して別れを惜しんだ。快秀上人は大乗寺のほか同市の本興寺・浄伝寺の代務住職、妙隆教会の担任を務めて檀信徒教化に努めてきた。



















