2015年4月22日
寄席紙切り百年 正楽三代展が開催
【東京北】4月二十二日から二十七日「上野松坂屋」にて「寄席紙切り百年正楽三代展」が開催された。
初代林家正楽(一八九五~一九六六年)が没して今年で五十回忌を迎えるにあたり、菩提寺である足立善立寺住職新倉典生上人の呼びかけによるものであった。
初代正楽が死去しておよそ半世紀「紙切り」を「寄席の色もの」に定着させた人物である。開催期間中行われていた三代目正楽の公演では、立ち見の人が通路まで溢れ返っていたほどの盛況ぶりで、客からの難しいお題を受けてもユーモアあふれる話術とともに、見事な紙切りを披露し、客を目と耳で楽しませた。
そもそも初代正楽と新倉住職との縁は深く、新倉住職が産声をあげた頃、「私には二人息子がいたけれども、ひとりは戦争で亡くし、ひとりは養子にだしてしまった。お寺に二人の男の子はいらないだろう。だったらこの子を私にくれないか。紙切りに育てたい。」と住職の父に話されこのことが初代正楽との唯一の接点であり、「今思うと何かを託そうとした瞬間であったのでは」と新倉住職は話す。この時が新倉住職と正楽との切っても切れないハサミの縁となった。
その二年後、新倉住職が二歳の時、初代正楽は他界された。それから二十五年の歳月が過ぎ再び縁が結ばれた。新倉住職が善立寺の住職に決まり寺を訪れた日が初代正楽の奥様ますえさんの御命日。その後正式に住職となり、はじめての法要が奥様ますえさんの四十九日忌であった。その際養子に出た御子息から三つの願いを託された。
一つ目は、「無縁になってしまった墓地を寺に返したい。」
二つ目は、「実家の先祖供養は親父が眠っているこの寺の住職であるあなたに続けてもらいたい。」
三つ目は、「自分には妻も子供もいない。だから実父である初代正楽の功績を次の世代に伝えることができない。ついてはその役割をあなたにしてもらいたい。」という事であった。
その三年後、突然この御子息の訃報が寺に入った。生前中「親父の事は若い住職に頼んである」と口癖のように言っていたのをご友人達が聞いていて段ボール三箱の遺品を預かった。
この段ボールに詰まっているたくさんの想いと願い、そして伝統を次の世代に託さなくてはとの想いから五十回忌を期に展覧会開催の経緯である。
供養というものは法事を営むことだけではなく、故人の生きてきた証を次の世に代々繋いでいくことも供養の大切なありかたであると感じた。
今では年数回、寺の本堂や客殿にて「善立寺寄席」を開催し檀信徒や地域の方々を楽しませている。昔からの伝統や文化を後世に繋いでいくのも僧侶の大切な役目であると感じた。



















