全国の通信記事
2025年5月11日号
大阪和泉 妙見まつり大祈祷会
【大阪和泉】令和7年5月11日、大阪府河内長野市の妙長寺(吉村常妙住職)において妙見まつり大祈祷会が開催され、荻山泊水師による奉納演奏会「薩摩琵琶の妙音~祈りの物語~」が行われた。荻山師は弁慶と牛若丸の一幕「橋弁慶」や、子ども琵琶として「うさぎとかめ」のほか、「伊豆の御難」を演奏。「伊豆の御難」は、由比ガ浜にて日蓮聖人が伊豆へ流罪となる際に、弟子の日朗上人がその場に駆けつけ別れを偲ぶという場面。勇壮かつ美麗な琵琶の音色と語りの歌声に、参詣者は日蓮聖人の苦難を偲び、妙法弘布への決意や師弟の信頼関係に思いを馳せ、報恩感謝の心を新たにした。アンコールでは地元・南河内に縁のある楠正成公の「大楠公」の一幕が演奏され、堂内は拍手に包まれた。その後の大祈祷会では和泉管内修法師総勢12名による法楽加持とお餅まき・お菓子まきが行われた。フィナーレでは吉村彰史副住職とのじゃんけん大会が行われ、妙見菩薩や虚空蔵菩薩、大黒天さまからのおさがりとしてたくさんの供養品が授与された。イベントを企画運営する吉村彰史副住職は、妙長寺に安置されている伊豆海中より出現の釈尊像(レプリカ)について解説したほか、「激動の時代を超えて伝えられてきた武勲や鎮魂の祈りが薩摩琵琶の演奏に込められていると思います。立正安国・平和への願いを未来へと紡いでいく物語の中に、私たち自身も参加しているような、そういう体験や感動のできる開かれたお寺づくりを目指していきたい」と思いを述べた。
2025年2月15日号
大阪和泉 横山泰道師帰山式
【大阪和泉】令和7年2月15日(土)、大阪府泉佐野市妙光寺にて、現住職 横山泰道上人の第再行成満 帰山奉告式が執り行われた。
当日は晴天に恵まれ、寺族・檀信徒・管内各聖、総勢約150名が参列。
横山泰道上人を祝う唱題の声と共にご帰山された。
謝辞の中では、再行代表として励んだ苦修練行を振り返り、
「ご縁ある多くの方々のお陰で、今日の日を迎えることができた。このご恩に報ずべく、檀信徒の皆様のために精進を重ねて参ります。」
と、誓いの言葉を述べられた。
2024年5月19日号
大阪和泉 日限七面大明神大祭
【大阪和泉】令和6年5月19日、今年も堺市内、本覚山経王寺で佐野一秀住職を導師に、16名の管内修法師出仕のもと、日限七面大明神大祭が執り行われた。堺の旧環濠内に位置する当山は、かつて寺領三千坪に及び、周囲一帯は経王寺前町と呼ばれ境内には七堂伽藍を擁しつつも、大阪冬の陣の兵火、太平洋戦争の戦火に罹り、寺領を大きく減らすこととなった。しかし、かつて泉州最古の日限七面大明神をお祀りしていた七面堂を改築して本堂とし、堂内には泉州一大きな仏像群を奉安するなど、歴代住職の尽力により今なお往時の繁栄の面影を今に伝える泉州屈指の名刹である。
当日は、泉州最古の日限七面大明神、征夷大将軍八幡太郎義家公の守本尊であった童子妙見大士、法華経由来の諸天善神等をお祀りした御宝前にて、修法師による御宝前修法、大衆法楽加持祈祷に併せ、当地堺を発祥とする「千巻陀羅尼」が奉読された。
この「千巻陀羅尼」は天文法難に由来すると言われている。天文5年(1536)7月、延暦寺側の僧兵と宗徒が現在の京都市中に押し寄せ、洛中洛外の日蓮宗寺院二十一本山を悉く焼き払い、日蓮宗側に多くの死傷者を出した。洛中の日蓮教団は壊滅的な打撃を受け、この難から逃れた日蓮宗諸寺院の僧侶、殊に本山貫首様等は、京都と関係の深かった堺の末寺等に避難することとなった(本山妙覚寺は経王寺に避難)。
これら災禍を逃れた京都の日蓮宗僧侶と、既に当地に根を張りこれら困難に遭遇した人々を受け入れた堺の日蓮宗僧俗が一体となって、いつか京都へ帰れる日が訪れることを願い、堺の地にて、日々、陀羅尼咒を千巻お唱えするようになったことが、「千巻陀羅尼」の起源と言われている。
その後、6年の歳月を経て異体同心の願いは実を結び、帰洛の勅許を得て、京都の本山は十五に減ぜられつつも、これら十五本山を中心として、西日本における日蓮宗寺院は発展に大きく踏み出すこととなった。
佐野一秀住職は、この先人の労苦と切実な想いを後世へ伝えたいと、「千巻陀羅尼」読誦を復活し、若い管内修法師を鼓舞しつつ、日蓮宗発展と法華経弘通に尽力されている。
さらに本年は、宗祖が尊崇された十羅刹女の心咒(神咒)を、ご住職自ら奉読され、『法華験家訓蒙』に先行される資料『法華十羅刹法』について、ご教示された。



















