全国の通信記事
2026年6月14日号
神奈川2 檀信徒協議会定例総会
【神奈川2】6月14日、鎌倉市 本山 妙本寺で令和8年度檀信徒協議会定例総会が行われ、檀信徒約60名が参加した。
総会に先立ち、日蓮聖人第750遠忌報恩奉行会 事務局事業課長 滝本修司上人に「日蓮聖人御入滅750遠忌報恩事業の意義と各寺院の取り組み」と題して趣旨や報恩行事及び事業についての研修講演が行われた。
休憩を挟んで檀信徒協議会役員、宗務所役員の紹介があり、定例総会を執り行った。
2026年6月11日号
東京東 鹿児島護法団参
【東京東】6月11~12日、東京都東部宗務所と東京東部伝道センター主催の鹿児島護法団参が実施され、教師と檀信徒を合わせ48名が参加した。
午前11時頃、鹿児島空港に到着し、バスで薩摩半島南端の指宿市へ出立した。車中で行われた結団式で東京都東部宗務所の鈴木貫元所長は、参加檀徒に御礼を述べ、鹿児島観光を楽しみながら親交を深めて欲しいと話された。また翌日、日蓮宗鹿児島開教の地、護圀山教王寺を参拝する事に触れ、鹿児島に御題目を広め、人々の拠り所を作り上げた情熱を感じて欲しいと語られた。
昼食は唐船峡で回転式そうめん流しと川魚料理を堪能し、薩摩半島最南端の岬『長崎鼻』で海越しの薩摩富士『開聞岳』を一望。その後二手に分かれ『砂むし温泉』と『薩摩伝承館』を満喫した。夕刻からは鹿児島市内に移動し、南九州最大の繁華街『天文館』で薩摩の郷土料理に舌鼓を打ち、源泉かけ流しの温泉宿に泊って一日の疲れを癒した。
2日目は鹿児島市松原町の護圀山教王寺を参拝。第5世冨田晃義住職を導師に御開帳法要が営まれ、その後、冨田住職から縁起についてお話を頂いた。同寺は明治9年に信者たちが『法華宗題目講』を組織して始まったとの事。やがて信者たちの信仰心が実り、大正8年に東京・池上本門寺より祖師像の御分体が遷座され寺号を公称した。そして第二次世界大戦が終戦する昭和20年に奇跡的な出来事が起こった。当時の住職が祖師像に疎開しても良いか尋ねた所、祖師像から「否」という声が聞こえた。その声に従うと6月17日、鹿児島大空襲で辺り一面が焼け野原になる中、同寺だけが無傷できれいに残ったという。翌日から同寺は家を無くした被災者たちの臨時宿泊所として利用され、以来『火防せのお祖師様』として信仰を集め信者が増加した。冨田住職は自身も同寺が人々の心の支えとなり、安らげる場所となるよう尽力していきたいと熱を込めて語られた。
続いて国指定の名勝『仙厳園』を観光。薩摩藩主『島津家』ゆかりの野点御膳を昼食に頂き、雄大な桜島が美しい借景庭園や島津家歴代藩主が暮らした御殿、世界文化遺産の反射炉跡などを鑑賞した。15時半頃、帰路の便に搭乗し1泊2日の護法団参を終えた。
2026年6月6日号
東京東 長榮寺 光枝海元院主本葬儀
【東京東】令和8年6月6日、新島村の三松山長榮寺第27世、光枝海元院主が御遷化され、9日に通夜式、10日に本葬儀が執り行われた。法号は慈善院日新上人、世寿92歳だった。
本葬儀は、同じ達師法縁の伊東隆司師(神奈川県横浜市常照寺住職)を導師に営まれ、式の最後には喪主を務めた第28世、光枝浩生住職が御功労への感謝と謝辞を述べられた。長年、民生委員も務め島民の生活相談にも応じていたという光枝院主、葬儀は近親者と関係者のみで行われたが、焼香には島民を中心におよそ300名もが訪れ哀悼の意を表した。



















