全国の通信記事
2024年11月10日号
神奈川3 かみふなかミニコンサート
【神奈川3】十一月十日(日)、小田原市蓮華寺(羽田鳳照住職)に於いて、「かみふなかミニコンサート」が開催された。
この度のコンサートは今回で三回目となり、過去二回同様に地元コミュニティ組織との共催で実施され、バンド演奏やオカリナ、三味線、雅楽や小田原ゆかりの歌舞伎演目「外郎売」の口上が披露されるなど、計十二組が出演し、一八〇名超の来場者が演奏を楽しんだ。
また、演奏だけではなく客殿も開放し、民生委員やボランティアなどスタッフが準備した軽食の接待もあり、世代や年齢を超えた交流会の場ともなった。
閉会の挨拶で自身もサックス四重奏と雅楽で出演した修徒・羽田鳳竜師は「昨今、『誰にも迷惑をかけない』という考え方が市民権を得ていますが、私はそれに少し異を唱えたいと考えています。今日の私の演奏はもちろん、開催するにあたり、多くの方にご負担・ご協力そして迷惑をかけながら今日のコンサートを終えようとしています。それでも私たちはお互いに迷惑を掛け合い、その度に許し合い、そして支え合うことで共に生きていけるのだと改めて実感しています。そしてその証拠に多くのスタッフのご尽力があって無事円成となりました。本日は本当にありがとうございました。」と結んだ。来場者からは四回・五回と継続開催を望む感想が多く聴こえ、地域活性化の重要な催しとなっていることを強く感じられる一日となった。
2024年11月5日号
東京東 京浜教区檀信徒研修道場
【東京東】第40回京浜教区檀信徒研修道場が11月5日より1泊2日で開催され、教師と檀信徒を合わせ50名が大型バスで山梨県身延へと向かった。
午前11時半、訪れたのは「日蓮聖人の身延御入山草鞋ぬぎ、1ヶ月御停住の霊場」と呼ばれる波木井山円実寺。境内で記念撮影後、本堂で長谷川喜章住職を導師に御開帳法要が営まれ、開場式が始まった。挨拶に立った長亮行京浜教区長は「日蓮聖人が勉学に励み、多くの僧と議論を重ねて突き止めた妙法5字、聖人のたゆまぬ努力に思いを馳せながら御題目を唱え、研修に臨んでほしい」と檀信徒に伝えられた。
昼食後は御題目写経に続き、身延山布教師の延本妙泉師から法話を頂いた。延本師は知恩報恩について説かれ「どんな時も感謝の心を持ち、恩を頂いたら自分もまたより多くの人を助けることが報恩」と優しく語られた。次にバスで御廟所へ移動し法味言上、常唱殿で唱題行を営み初日の研修が終了した。夜は下部ホテルで体を休めた。
2日目は早朝4時半に出発し身延山久遠寺へ、薄暗い境内で大鐘楼の音を聞き、大本堂で持田日勇法主猊下が導師を務められる朝勤に参列した。勤行後には豊田慈證布教部長から「身延山こそが霊鷲山」とお話を頂き、久遠寺が推進する共栄運動にも触れられ「全ての人々が互いに敬い合って幸せになるよう皆さんでお題目を唱えよう」と参列者に呼びかけられた。
ホテルに戻り朝食と小休憩、午前9時半に笛吹市石和町へ移動し、謡曲「鵜飼」発祥の地、「日蓮聖人が鵜飼の亡霊を供養し成仏させた」と伝わる鵜飼山遠妙寺を参詣した。長澤宏昌住職を導師に御開帳法要を執り行い、日蓮聖人が亡霊供養のため小石に御題目を書いたと伝わる寺宝「7字の経石」を拝観した後、閉場式が行われた。東京都東部宗務所の鈴木貫元所長は最後に「研修道場で学んだことを日々の糧にして信仰をより深めて頂きたい」と檀信徒に伝えられた。2日間の研修を終えた檀信徒たちだが、疲れた様子はなく、近くのシャトレーゼホテル石和で楽しく昼食、檀信徒からは「身延でたくさんのパワーをもらってより元気になった」との声も聞かれた。
2024年11月3日号
神奈川1 日蓮聖人御真筆修復完成奉告式
【神奈川1】「令和6年11月3日午後2時、日蓮宗宗門史跡名瀬妙法寺(神奈川県横浜市戸塚区・久住謙昭住職)で「日蓮聖人ご生誕八百年慶讃記念事業 日蓮聖人御真筆修復完成奉告式」が営まれた。当日は晴天に恵まれ、約120人の僧侶檀信徒が参列。久住謙昭住職ほか式衆が入堂し、声明と雅楽が織りなす厳粛な法要が営まれた。修復が施された日蓮聖人の真筆は「伯耆殿並諸人御書」・「桟敷女房御返事」・「本門大法御書」の3幅で、いずれも宗宝に指定されている。これらは元来、和歌山県和歌山市の天台宗日正山了法寺(元は日蓮宗寺院。養珠院お万の兄で紀州徳川家家老であった三浦為春が開基)の什物であったが、平成30年に縁あって妙法寺に譲られ、間もなく宗宝に指定された。ただ、長い年月による損傷が激しかったため、久住師は日蓮聖人御降誕八百年の慶讃記念事業として修復を発願。総代・世話人をはじめとする330人を越える檀信徒から浄財が集まり、3年の年月を経て修復を終えた。式典には、修復事業の監修を担当した立正大学名教授の中尾堯文師、立正大学教授の原愼定師、常円寺日蓮仏教研究所主任の都守基一師が参列し、中尾師は「日蓮聖人の御真蹟を修理するには国宝並みの技術が期待されますので、国宝修理を担当する業者の一つ「半田九清堂」に依頼しました。長期にわたる修理の期間に久住師と私はたびたび工房を訪れて、その厳密な工程を見学しました。その結果は素晴らしく、国宝の修理に匹敵する見事な出来栄えで、今日その姿を尊く拝観できます。」と祝辞を述べた。久住師は「修復を進める中で、440年前の天正八年(1580年)に修復に携わった先人の覚書が出てきました。私にはそれが次に修復する私たちに送られたメッセージのように感じられました。そして半田九清堂様には『今回の修理で一千年先まで大丈夫です』とのお言葉をいただきました。この修復事業に浄財を寄進して下さった全ての人たちが、“一千年先の遠い未来の人たちにとって信仰の歴史をつなぐ一人になる”と感じています。次の世代へ歴史をつなぐ担い手となることができた悦びを抱きつつ、修復事業に携われた全ての皆様に感謝申し上げます。」と謝辞を述べ、式が終了した。