2026年4月24日
東京西 幸龍寺で碑を整備・開眼供養
【東京西】幸龍寺で順性院殿お夏の方墓碑を整備・開眼供養を厳修
去る四月二十四日、東京・世田谷の妙祐山幸龍寺(髙佐日瑞住職)において、三代将軍徳川家光公の側室・順性院殿お夏の方の墓碑整備が完了し、住職導師のもと開眼供養が厳修された。
順性院殿(元和八年〔1622〕〜天和三年〔1683〕7月29日)は、甲府宰相徳川綱重公の生母であり、後の六代将軍家宣公、七代将軍家継公へと続く将軍家直系の祖に当たる重要人物である。家光公の厄年に懐妊したことから、災厄を避けるため家光公の姉・天樹院(千姫)の養子とする配慮がなされ、天樹院の居所である竹橋御殿において長松丸(後の綱重公)を出産した。慶安四年に家光公が薨去すると落飾し、順性院と号した。
順性院殿は法華信仰に篤く帰依し、幸龍寺第七世・日相上人を推挙するなど寺門の興隆に尽力した。天和三年の遷化に際しては、五代将軍綱吉公により境内に壮麗な霊廟が建立され、従来の五十石に加えて新たに百石の朱印地が加増され、計百五十石の寺領を拝領した。これは当時の有力本山級を上回るもので、御府内においては大本山池上本門寺に次ぐ高石高であったと伝えられる。これにより幸龍寺は、徳川家ゆかりの「香華院」として、蓮門江戸五山の一翼を担い隆盛を極めた。
昭和期に順性院殿の遺骨は上野寛永寺墓地へ改葬されたが、幸龍寺には往時を偲ぶ五輪塔(供養塔)が今日まで大切に護持されてきた。
髙佐住職の発願による今回の墓碑整備は、幸龍寺と徳川家、そして順性院殿が捧げた篤き法華信仰との深き因縁を、改めて後世に伝えるものとなろう。



















