2025年7月19日
宮鹿沖 戦没者慰霊行脚
【宮鹿沖】7月19日、鹿児島県南九州市知覧町で宮崎鹿児島沖縄県管区青年会主催の戦没者慰霊行脚を行った。この地は陸軍基地があり、本土最南端ということで最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名全体の半数近くが知覧基地から出撃した。
その地である知覧に、宮鹿沖青年会会長 田平光鵬師、全国日蓮宗青年会会長 工藤堯顯師約40人の青年僧が、特攻隊員のお世話に尽力し「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんの営んでいた富屋食堂(現在は資料館「ホタル館 富屋食堂」)から行脚を出発し、特攻平和観音堂にて一読戦没者に思いを捧げた。
その後、戦没者の手紙遺品のある知覧特攻平和会館で見学、鹿児島市教王寺で終戦80年知覧特攻隊慰霊法要が執り行われた。
参列された宗務院長谷川雄一伝道部長と宮鹿沖宗務所所長黒木浩順師の挨拶後、導師を勤めた 宮鹿沖青年会会長 田平光鵬師は「4回目にあたる今回は終戦80年の節目にあたり、例年通りの行脚に加え、戦没者慰霊・平和祈念法要をしたいという話がでた。しかし、知覧の観音堂では諸事情により、満足のいく法要ができないという見通しが強くなる中、教王寺住職冨田晃義師がお堂を快くお貸ししていただき、今回教王寺にて知覧慰霊・平和祈念法要をさせていただくことができた。
太平洋戦争末期、命をもかえりみず突貫した、若き人々の遺影や遺書等が数多く知覧特攻平和会館に展示されております。まだ二十代の特攻隊の 遺書の心境は、読めば読むほど言葉にならないものに感じられる。元々この行脚は、知覧とはどういう場所、特攻隊とはどういうものであったのかを知っていただきたいという思いから始まった。
知覧や特攻隊について知り、その想いを語っていただくのが最高の供養になるのではないか、まだ四回目で日が浅いが、年々この地を知っていただき、四年前までお題目が響くことのなかったこの地にお題目が響き渡ることができるようになったのは、皆様のお心のおかげさまでございます。今後もこの知覧行脚を続けていけたら幸いです、改めて青年会一同御礼を申しあげます」と述べた。



















