全国の通信記事
2016年11月17日号
愛媛・中四国教区声明研修会
【愛媛】 平成28年11月17日・18日、中四国教区声明師会主催のもと、中四国教区の教師を対象とした声明研修会が愛媛県妙円寺(森部光裕住職)で行われ、24名の教師が出席した。
講師は声明師連合会の事務局、身延山大学講師の村上通明師(山梨県久成寺住職)を講師に迎え、回向の意義と心構えや回向文の作り方などを学んだ。
村上先生は、回向文はその文の作り方が半分、読み方が半分でどちらもおろそかにしてはいけないと講義された。回向文は、自分自身が慣れすぎないように何種類も考えておき、読み方に関してもより分かりやすくするための活舌を良くする方法などを論ぜられた。
また太鼓を打つ由来や今後増えてくるであろう椅子席での所作など声明師ならず教師にとって大切な幅広いことを伝えられ、非常に実のある研修会となった。
京都1・「洛陽十二支妙見 宝剣引継大祭」開催
【京都1】12月17日、洛陽十二支妙見会(道入寺住職風間隨成会長)による宝剣引継ぎ大祭が島原の妙見さんの慈雲寺(岩本惠明代務住職)で僧俗約90名が参拝し行われた。法要に先立ち、冬空の下、妙見会各聖による水行が行われ、檀信徒が合掌し見守った。大祭では申の妙見さんの慈雲寺(岩本惠明代務住職)より、酉の妙見さんの常寂光寺(長尾憲佑住職)へ宝剣が引き継がれた。
「洛陽十二支妙見」とは京都御所紫宸殿を中心に京都市内の十二支の方角に祀られた妙見宮から構成されている。江戸時代、「洛陽十二支妙見」は、寿福、開運、厄除けを願う庶民の間で信仰が盛んに行われ、参拝者は後を絶たなかった。その後、明治時代の廃仏毀釈により少しずつ衰退してしまっていた。その「十二支妙見会」が1986年(昭和61)に再興され本年で30年の節目を迎える。
法要後には、岩本惠明師より、「妙見さんは破邪顕正といって、邪な考えを破って顕正すると言われている。我々には色々な予想外の事が起こり、そんな時自分の気持ちが乱れてしまいがちだが、信仰によってそんな気持ちを妙見さんに宝剣で切って頂ける。その為に、日頃より信仰を厚くしておかなければならない。」と法話があった。
2016年11月15日号
千葉西 七面山 雨畑参道復興山行
【千葉西】青年会(茂原市・妙樂寺住職・増田寶雲会長)では、十一月十五日(火)~十七日(木)の二泊三日で、「七面山 雨畑参道復興山行」を行い、会員、賛助会員計九名が参加した。
雨畑参道は、近隣の道路整備や七面山での機械の導入等が行われる以前は多くの登詣者で賑わい、何よりも七面山に職方として勤務された雨畑の人々の生活道として利用されていた。七面山のみならず南アルプス山脈周辺に多大な被害をもたらした二〇一一年の大雨により、参道入口の雨畑湖(雨畑ダム)や山道自体に大きな傷跡を残しており、現在も雨畑湖の復興は進められているが、参道までは手が届かず廃道寸前となっている。
十五日午前四時三〇分に茂原市を出発。九時半より登詣を開始した。
山に不慣れな者が多い為、今回の山行のそもそもの発起人でもあり、登山経験の豊富な田澤元泰師(茂原市・妙弘寺住職)に先導を、同じく登山経験豊富な月﨑了浄師(長南町・長久寺住職)にナビゲーターをお願いした。
休憩を挟みながら急勾配の山道を進み、午後三時半頃、雨畑分岐点(三十六丁目)に到着。三時四〇分奥ノ院、四時三〇分敬慎院に到着。汗を流した後、御開帳を受け、夕勤に参列。
翌朝午前六時に敬慎院を出発。七面山大崩展望所にて御来光を遥拝し、山頂へ。その後、三ノ池付近から希望峰を経由し、四ノ池付近から八紘嶺、富士見台分岐から八紘嶺登山道入口へと降りた。その後、バスにて梅ヶ島温泉に到着。
夜には慰労の席が設けられ、発起人である田澤師より「皆に怪我もなく無事に踏破出来て嬉しい。表参道だけでなく、雨畑参道も今回のように多くの方に進んでもらい、お参りしてもらいたい。」と挨拶が述べられ、増田会長より「歴史ある雨畑の道を歩かせて頂き、尊い経験をさせてもらいました。山道復興に対し何が出来るのか今はわからないが自分なりに尽力していきたい。」と謝辞が述べられた。
十七日午前十時、帰路についた。



















