全国の通信記事
2015年4月24日号
東京南・檀信徒研修道場
【東京南】四月二十四日(金)に、日蓮宗東京都南部宗務所主催の檀信徒研修道場が町田市妙延寺(金子延生住職)で行われ、檀信徒約六十名が参加した。
本年の道場のテーマは「日蓮聖人の魂にふれる一日」。まず、大本山池上本門寺の日蓮大聖人御尊像に、夏物と冬物の白衣を奉納している「武相御召講」について、講長の五十子孝一氏より講話が行われた。「武相御召講」はその名の通り、古くは旧武蔵国・旧相模国の信者達によって組織された講中。元々御尊像の御召服は、徳川御三家の一つ紀州家が代々奉納していたが、明治維新後に同講中に引き継がれ、以来、夏のお召服は四月二十八日の立教開宗の日に、冬のお召服は日蓮大聖人ご入滅前日の十月十二日に奉納されている。五十子講長は「およそ百四十五年続く由緒ある講中を次世代へと繋げるために、もっと多くの方々に知って頂きたい。そしてこれからも力の続く限り日蓮大聖人へご給仕させて頂きたい」と同講中への誇りと熱き思いを語った。
続いて大本山池上本門寺参拝部執事・梅本明宏師(町田市蓮清寺)より、約十五年間お召服の奉納に携わった経験談が話された。この間、堂内には実際にお召になられている日蓮大聖人御尊像の御衣が並べられ、その美しい衣の色に参加者からは感嘆の声があがった。
午後からは講談師の一龍齋貞鏡師による『日蓮記』の講談が行われた。貞鏡師の張りのある声と躍動感ある
身ぶり手ぶりを交えた講談に参加者たちは引き込まれ、日蓮大聖人の御生涯を心身共に体験した。
最後に、東京都南部修法師会総勢十三名の修法師による御祈祷が行われ、引き続き修了証が参加者に授与され、無事に閉会となった。
参加した檀信徒の一人は「こんな自分の身近な地域に日蓮大聖人とつながることのできる縁があるとは知らなかった。普段は経験できない多くの僧侶たちによる迫力ある御祈祷も頂き、これからまた新たな気持ちでお題目とともに生きていきたい」と充実した顔を見せた。
2015年4月22日号
寄席紙切り百年 正楽三代展が開催
【東京北】4月二十二日から二十七日「上野松坂屋」にて「寄席紙切り百年正楽三代展」が開催された。
初代林家正楽(一八九五~一九六六年)が没して今年で五十回忌を迎えるにあたり、菩提寺である足立善立寺住職新倉典生上人の呼びかけによるものであった。
初代正楽が死去しておよそ半世紀「紙切り」を「寄席の色もの」に定着させた人物である。開催期間中行われていた三代目正楽の公演では、立ち見の人が通路まで溢れ返っていたほどの盛況ぶりで、客からの難しいお題を受けてもユーモアあふれる話術とともに、見事な紙切りを披露し、客を目と耳で楽しませた。
そもそも初代正楽と新倉住職との縁は深く、新倉住職が産声をあげた頃、「私には二人息子がいたけれども、ひとりは戦争で亡くし、ひとりは養子にだしてしまった。お寺に二人の男の子はいらないだろう。だったらこの子を私にくれないか。紙切りに育てたい。」と住職の父に話されこのことが初代正楽との唯一の接点であり、「今思うと何かを託そうとした瞬間であったのでは」と新倉住職は話す。この時が新倉住職と正楽との切っても切れないハサミの縁となった。
その二年後、新倉住職が二歳の時、初代正楽は他界された。それから二十五年の歳月が過ぎ再び縁が結ばれた。新倉住職が善立寺の住職に決まり寺を訪れた日が初代正楽の奥様ますえさんの御命日。その後正式に住職となり、はじめての法要が奥様ますえさんの四十九日忌であった。その際養子に出た御子息から三つの願いを託された。
一つ目は、「無縁になってしまった墓地を寺に返したい。」
二つ目は、「実家の先祖供養は親父が眠っているこの寺の住職であるあなたに続けてもらいたい。」
三つ目は、「自分には妻も子供もいない。だから実父である初代正楽の功績を次の世代に伝えることができない。ついてはその役割をあなたにしてもらいたい。」という事であった。
その三年後、突然この御子息の訃報が寺に入った。生前中「親父の事は若い住職に頼んである」と口癖のように言っていたのをご友人達が聞いていて段ボール三箱の遺品を預かった。
この段ボールに詰まっているたくさんの想いと願い、そして伝統を次の世代に託さなくてはとの想いから五十回忌を期に展覧会開催の経緯である。
供養というものは法事を営むことだけではなく、故人の生きてきた証を次の世に代々繋いでいくことも供養の大切なありかたであると感じた。
今では年数回、寺の本堂や客殿にて「善立寺寄席」を開催し檀信徒や地域の方々を楽しませている。昔からの伝統や文化を後世に繋いでいくのも僧侶の大切な役目であると感じた。
霊跡本山根本寺で晋山式と本葬儀
【新潟北】4月22日、塚原問答・開目抄御撰述の霊場、新潟県佐渡市の霊跡本山根本寺に於いて、第五十三世貫首となる竹中智英師の晋山式ならびに、昨年11月6日にご遷化された第五十世前貫首竹中日浄猊下の本葬儀式が営まれた。
当日は穏やかな晴天に恵まれ、全国より参集した僧侶檀信徒らあわせて250人余りが参列した。
午前に行われた晋山式に先立って行われた行列では、開目抄始顕の三昧堂にて法味を言上。その後、境内に奏楽の音色が厳かに響く中、本堂へと進んだ。
祝辞は、小林順光宗務総長、内野日総総本山身延山久遠寺法主の名代・井上日修総務が述べ、竹中師の功績を称えた上で、聖地佐渡に於ける霊跡本山貫首としての活躍に期待を込めた。
これを受けた謝辞の中で竹中師は、「日蓮大聖人の霊跡ということを念頭に置いて、毎日毎日給仕の心を忘れることなくこの佐渡をしっかり私は守っていくことを、改めてお約束をさせていただきたい。」と決意を述べた。
昼食を挟んで午後から行われた前貫首竹中日浄猊下(法号は英祥院日浄上人)の本葬儀式では、身延山総務井上日修猊下が大導師を勤められた。
挨拶に立った齋藤憲一伝道局長は、日浄猊下が地元の旧新穂村(現佐渡市)村会議員を連続四期務め、地方行政に尽くされた巧により、天皇陛下より旭日単光章を授与されたことに触れ、宗門内外に偉功を遺されたことを称えるとともに、その遷化を惜しんだ。祭壇にはその勲章と勲記が掲げられた。
多くの功績を遺した師父である日浄猊下より、霊跡本山を引き継ぐこととなった竹中日新貫首は、「まだまだ力不足かもしれませんが、この霊跡根本寺を私なりに護持丹精していきたい。」と述べ謝意を示した。



















