2016年4月29日
三重 第49回立正平和祈願会
【三重】日蓮宗三重県宗務所(三重県四日市市安楽寺)主催による第49回立正平和祈願会が4月29日、三重県亀山市文化会館で開催された。
前日の激しく降った雨はあがったものの、当日は余韻を残したような荒れた風吹く中での開催となった。
午前10時30分。会場の大講堂内に、県内各所より集まった檀信徒150人強が見守る中、三重県内の日蓮宗僧侶が昇堂。僧侶と檀信徒が一つとなってお題目を唱えての祈願会開会となった。
第1講は、三重県社協会を代表して飯沼良浩上人(三重県四日市市智玄寺住職)が法話をされた。
飯沼上人は『こんな時代だからこそ家族とたくさん話をしよう』をテーマに、『こんな時代』──昨今の代表的な天災や人災を例に挙げられ、こうしたことがまさに末法の世の現れ。家庭内でも、家族の会話が薄れてゆき、家族間の繋がりが希薄になっていくことで、先祖を思う心・作法が継承されず、ゆくゆくは信仰そのものが失われてゆくのです、と述べられた。
私たちは皆、法華経・お題目の信仰により命を授かり、仏になるための道筋を歩んでいるのです。
それが今、家族がともに話し合う時間がないため、心が通いにくくなることで家族制度の崩壊が進み、子・孫にかつて当たり前であった先祖供養や信仰が継承されなくなってきている。
「子や孫が家を離れ、遠方に家を構えるのが当たり前の時代。ですが今は、どんなに遠く離れていても電話などで会話のできる時代です。 どうぞ、信仰も含めて、たくさん家族と話をし、心を通わせましょう」と述べられ、つながりの大切さについてお話をされた。
第2講は、布教師会会長、冨田啓暢上人(三重県熊野市本乗寺住職)による、人と人とのふれあいについての法話がおこなわれた。
冨田上人ははじめに、今朝読まれた朝刊に掲載の川柳をあげられた。
「あらためて いつもどおりの ありがたさ」
その句の中に共通してして読まれている想い、日常のありがたさが、いかに有り難いことなのか話された。
蛇口をひねれば水が出る。暖かいお風呂に入ることができる。トイレが当たり前のように使える。普段、意識すらしないような当たり前のことが、こと災害など非日常の出来事が起きると、当たり前でなくなる。
冨田上人は自らの災害体験などを交え、日常のありがたさについて説明をされ、普通の有り難さ、人と人との有り難さを感じます、と述べられた。
「人様のお世話にならなければ、生きていけないのが、人間の本質的な姿なのです」「人は支え合い、干渉し合わなければ生きていけない…」と説明した上で、「ですが同時に、一番生きていく上でストレスになるのも人間関係」と話され、ここで四苦八苦に説明。干渉し合うことで生まれる苦しみについての説明をされた。
人は苦しみにあうと「なぜ自分はこんな目に?」「なぜこの人は私にこんなことを言うのだろう?」と苦しみ悩みます。ですが、皆さんが生きてきた人生が違うように、いま抱えてる問題が違うように、置かれてる立場が違うように、みな受け止め方が違ってくるのです。
冨田上人はここで、人がそれぞれ持つ距離感=パーソナルスペースや、ネット依存する若者の話などを例に出され、よりよい人間関係が築けるようになるために、相手は『自分とは違う人』であると意識してコミュニケーションとりましょう。そして言葉は諸刃の剣であることも意識しましょう、と述べられた。
第3講は唱題行。三重県青年会会長 高津崇弘上人(三重県名張市箕曲教会担任)導師による唱題行がおこなわれた。毎年、青年会は会長が導師となり、唱題行をおこなっている。今回も檀信徒用に用意した唱題行のしおりを皆で読みながら、唱題行の作法と心得を都度説明しつつ唱題行を執り行った。
午前最後の第4講は、三重県伝道センターより高島行勝上人(三重県四日市市妙延寺住職)による法話がおこなわれた。毎年、檀信徒向けに制作されたA4サイズの教箋『法華百葉』を皆で読みながら法話をおこなっている。
本年は前任のセンター長に代わり、高島上人がその教箋を手にしての法話を担当することとなった。
教箋『法華百葉』は挿絵入りA4サイズ。『梁塵秘抄』の法華経二十八品歌を挿絵とともに掲載し、法華経各品の教えや喩えについてやさしく解説したもの。
高島上人は時おり笑いを誘って場を和ませつつ、この教箋を手に法話をおこなわれた。
昼食後には、 三重県宗務所長 西片元證上人(三重県四日市市安楽寺住職)導師のもと平和祈願法要がおこなわれた。
県内僧侶による回向、ならびに修法師による国内・世界平和祈願のための修法がなされ、檀信徒の読経の声と、木剣の張りつめた音が会場内に響き渡っていた。



















