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2017年9月14日号
東京西 文京区蓮華寺入寺式と本葬儀
【東京西】九月十四日(木)、東京都文京区白山蓮華寺に於いて、第三十二世橘髙智行師の入寺式及び第三十一世智説院日皇上人(橘髙智光師)本葬儀が営まれた。蓮華寺は天正十五年(一五八七年)に安立院日雄上人により創建され、武家の檀信徒が多く武士寺とも呼ばれた。
秋晴れの爽やかな天気の中、有縁の各聖、檀信徒約四百名が参列し、入寺式、本葬儀が厳粛に進められ、僧俗一体となった清々しい読経と唱題の声が堂内に響き渡った。
入寺式では東京親師法縁を代表し池田順覚師(玉川寺住職)より「私たちの体の中には先代の血が流れています。心の中に師匠が生きています。心に問いかけながら、家族・檀信徒の皆様と手を携えてお寺をお護りしてほしい」と祝辞が述べられた。
本葬儀は松村壽巖貫首(本山貞松蓮永寺)を導師に迎え執り行われ、茂田井教洵宗務所長(東京都西部)、山田日潮貫首(本山堀之内妙法寺)、石川一郎氏(蓮華寺総代)より弔辞を述べられた。山田貫首は涙ながらに故人との思い出を語られ、その恩徳を偲ばれた。
新住職となられた橘髙智行師は「先代は僧侶として自分の出来る事をやり遂げられた住職でした。それも皆様のご協力あっての事と思います。これからも歴代のお上人、師父の事を忘れずに、皆様への御恩を返していきたい。」と謝辞を述べた。
遷化された橘髙智光師は身延山久遠寺布教部長、特別僧風林林長、身延山大学客員教授等を歴任し、常任布教師としても活躍し、また地域社会に於いては民生委員、保護司を務め、各機関より表彰され、遷化後には瑞寶雙光章を授与された。
また長年に渡り西部教化センターの施本に法話を執筆し、「法話はおかゆだよ。小さい子にも分かるように話しなさい」との言葉通り、分かりやすく、多くのことを教えられた。
尚、師の長年の功労顕彰し『橘髙智光上人おぼん施本選集』が東京都西部教化センターから出版された。
2017年9月13日号
静岡中 富士市常諦寺・泉俊雄上人本葬儀
【静岡中】富士市常諦寺(泉和彦住職)で、本年9月13日に世寿77歳にて遷化された同寺第四十三世・泉俊雄上人(久遠院日乗上人)の本葬儀が9月19日、正干与の若月秀仁師(富士市蓮盛寺住職)を導師に営まれ、僧侶檀信徒約三百人が参列した。
俊雄上人は昭和57年4月15日に同寺住職に就任、昭和59年4月には身延山久遠寺渉外執事に任命され、昭和60年12月より日蓮宗宗会議員を二期八年務めた。その間立正大学学園振興委員会委員、教育制度検討委員会委員、司法制度検討委員会委員、立教開宗七五〇年慶讃実行委員会委員、大本山本圀寺調査委員会委員長、日蓮宗新聞社監査役などを歴任した。また平成7年より富士市仏教会会長を一期二年務め、宗門内外の発展に寄与した。住職としては昭和61年に山門・第三書院・庫裡建設、平成13年に日朝堂再再建、墓地拡張、外周壁、水屋等を建設して寺観を一新した。また昭和50年には大相撲富士巡業勧進元となり、平成11年から同18年まで極真空手全世界大会・全日本大会顧問をつとめるなど、スポーツ文化振興にも深く関わった。平成18年5月には、長男和彦師に法灯を継承し、院首となった。
当日の弔辞では豪放磊落な故人の性格が浮き彫りになった。丸茂湛祥師(富士市本蔵寺住職)は「俊雄上人は何事も積極的に立ち向かうことの大切さを我々に示してくれました。この教えを肝に銘じたいと思います」と述べた。
和彦住職は謝辞で、「何もしなくても、師父がいたときは安心(あんじん)がありました。師父から継承したこの常諦寺を護持することこそ、師匠が私に与えた最後の任務であると思います」と今後の決意を述べた。
2017年8月25日号
大阪和泉 堺市妙光寺で29世笹谷修身上人の本葬儀
【大阪和泉】堺市妙光寺で8月25日(金)11時より、同寺29世笹谷修身(常覚院日修)上人の本葬儀が当山正干与 小野好文師(妙泉寺住職)を導師に執り行われ、法縁・管内有縁の僧侶並びに檀信徒200人が参列した。
笹谷修身上人は昭和20年堺市に生を受け、昭和34年に出家得度、昭和43年に立正大学を卒業するや、まず師範と同じく教育界に身を投じ堺市の小学校で20有余年教鞭を奮われた。その後師範上人が高齢にて法務ままならずなるや、平成元年義弘山妙光寺第29世の法燈を継承された。宗内に於いては、宗務所会計、社会事業協会会長の任を務められ、宗外に於いては、堺市仏教会理事、堺市人権教育推進協議会宗教部会常任委員、少林寺校区農人地区青少年指導員を務められ、また平成12年からは民生児童委員を務め、広く社会に貢献された。
8月6日遷化、世壽73歳であった。



















