全国の通信記事
2024年7月31日号
京都一・第71回近畿地区僧風林が開林
【京都1】京都市左京区本山頂妙寺(田中日淳貫首)にて7月25日から31日までの一週間、令和6年度第71回近畿地区僧風林が開林された。今年は18名(男性16名、女性2名)の林生が遠近各地より参加された。
この一週間、朋友互いに励まし合い連日の読経練習、仏伝、祖伝、書写行、法要式の練習と朝早くの起床から就寝まで講義を受けた。
また、比叡山延暦寺、横川定光院の参詣も行い日蓮聖人の足跡に触れながら一週間ではあるがお坊さんとしての基礎を養った。
最終日には、京都八本山貫首・近畿教区管内の各聖、更には迎えに来た師匠・両親・親族の前で一週間の集大成として田中日淳貫首を導師に林生のみで模範法要が堂々と行われた。
閉林式では、田中日淳林長より「一週間で学んだ多くの事を心の支えとして、信仰の柱として大きく成長しおて下さい」と林生に激励の言葉がかけられた。
2024年4月15日号
京都1 日ノ岡宝塔春季追善供養法要
【京都1】4月15日(月)、京都市山科区の日ノ岡にある宝塔(題目碑)で、京都府第一部宗務所所長の小田和幸師を導師に追善供養法要が営まれた。この法要では、粟田口刑場で処刑された約1万5千人の罪人の供養が行われ、また立正安国と交通安全の祈願も行われた。
この宝塔は、かつて粟田口刑場で処刑された罪人の供養のために建てられましたが、明治時代初めに刑場が廃止され、廃仏毀釈の影響で宝塔は取り壊され、後に埋没してしまいました。昭和時代に入り、道路や鉄道の工事が進む中、埋没した宝塔の一部が発見されました。その後、法華信者である小島愛之助氏が日蓮宗寺院に呼びかけ、日ノ岡に新たに宝塔を建立することが決定されました。建立の際には、同じく埋没していた車石も敷石として使用されました。車石は江戸時代に京都から大津間に存在した牛車専用道路に使われていた石です。
この法要には車石研究会のメンバーも参列し、一緒にお題目を唱えることでご縁を感じておられた。彼らの教科書やインターネットには載っていない細かな歴史を語る言葉一つ一つに、過去の出来事への思いやりが伝わってきた。
2024年3月10日号
京都1 本山 本満寺伊丹瑞栄師晋山式
【京都1】令和六年三月十日(日)、京都市上京区の本山 本満寺(廣宣流布山 本願満足寺)に於いて、第六十四世 瑞相院日顕(伊丹瑞栄)上人の法灯継承式が、身延山久遠寺持田日勇法主猊下、田中恵紳宗務総長などの来賓各聖、また僧俗約二百名が参列する中、厳かに営まれた。
晋山にあたり、伊丹日顕貫首は奉告文の中で身延山中興のの重乾遠の三師や、師範である本満寺第六十二世伊丹日章上人の功績に触れ、「恩山の一塵徳海の一滴に粉骨を以て謝するがごとき思いであり、後席を拝するにその責任の大いなるを感ずるも、其の身文字通り浅学菲才にして得る処無く、其の任に有らざれども、本日御来駕の各御尊聖の御指導御鞭撻と、有縁の檀信徒各位の御協力を請い願いて、微力乍ら報恩の誠を盡す覚悟なり」と御宝前に申し上げられた。