全国の通信記事
2025年10月31日号
栃木県大田原市護法寺 第2世中島教之上人本葬儀
【栃木】令和7年10月31日、栃木県大田原市 長遠山護法寺(中島啓文住職)において同年10月23日に遷化した第2世中島教之上人(玄妙院日教上人)の本葬儀が営まれた。世寿80歳。前日には通夜も営まれ、通夜・葬儀ともに導師に大田原市正法寺住職 中井本秀僧正 副導師に那須塩原市妙要寺住職 岩橋玄昌僧正・那須塩原市等覚院住職 藤﨑善隆僧正、式衆には法縁・管内有縁の僧侶が出仕して執り行われた。
教之上人は昭和49年に東京都池上において㈱水書坊を設立し、月刊「ナーム」誌刊行、編集長もされ、51年に南無の会を発足し、辻説法や南無行等を各地で行い、翌年護法寺の法燈を継承された。55年には柴又題経寺の執事もされた。平成14年、前住職の遷化に伴い、護法寺に帰住。平成21年~令和2年まで教誨師として活動し、大田原市に戻られてからも説法をされ、話された事は今も多くの方々の心に残っている。
2025年10月28日号
埼玉県声明師会講習会
10月28日、埼玉県声明師会では、新宿・瑞光寺にて星野顕総住職を講師にお迎えして「法服・袈裟・法衣について」の講義を受けました。
星野住職からはまず、「法服とは僧侶の服装であり、釈尊が出家者と在家の人を区別するために考えられたもの」とのお話がありました。その形は阿難尊者が田んぼの区割りを見て発想した田相衣に由来するとのこと。
袈裟については、「律衣」と「官衣」の二つに分かれ、五条・七条といった条数にも意味があることが解説されました。特に、青森・蓮華寺の角田上人による“折五条”の考案など、伝統の中にも時代に合わせた工夫がなされていることが紹介されました。
本宗独自の直綴(本衣)や素絹、指貫などについても解説があり、袖裏の色や紐の組み方など細部にわたる規定が、僧侶としての清浄と端正を表すものであることを学びました。
講義の後には、実際に衣を着装する体験も行われました。星野住職は「衣は心を正すためのもの」と語られ、その言葉が心に深く残りました。
講義を終えて、声明師会星会長は「普段なかなか目にすることのない貴重な衣を間近に拝見し、詳しく学ぶことができ大変勉強になった。今回の学びを今後の活動に活かしていきたい」と挨拶されました。
参加者一同、衣に込められた教えの尊さを改めて感じ、僧侶としての自覚を新たにする一日となりました。
2025年10月24日号
茨城 檀信徒研修道場
【茨城】10月24日、日蓮宗茨城県宗務所(相田要練所長)は日蓮宗茨城県檀信徒協議会(熊王康宏会長)共催のもと、水戸 妙徳寺(植木妙久住職)に於いて、檀信徒研修道場を開催した。約150人の教師並びに檀信徒が参加した。法要からはじまり写経、昼食、法話、唱題行と信行尽くしの日程となった。
法要では研修道場の円成を祈ると共に、各地災害犠牲者の追善回向と復興祈願もなされた。
写経はお題目を心静かに拝書した。
昼食では食法を唱えて、始まった。黙食ではなく、各々が信仰の話をしながら食事をした。
法話は坂井是真上人(福井県 妙智寺住職)を迎え、演題を『「いのちに合掌」〜誰もがイキイキと輝く為に〜』として、なぜ生きるのか、我々のいのちとはを考えさせられた。笑いあり、涙ありの感動の90分となった。
唱題行では「南無妙法蓮華経」をしっかりとお唱えし、大音声の中で法悦に浸ることができた。
参加者からは「お題目に一日触れて、唱えて充実の一日となった。明日から一生懸命に頑張れるようになった。」と満足する声があがった。
遠方の方に配慮された早めの解散となり、参加者の負担が少ない、満足度の高い道場となった。



















