全国の通信記事
2025年2月22日号
神奈川1 石井皐晶師帰山式
【神奈川1】令和7年2月22日、晴天の中、横浜市旭区善部町妙蓮寺(石井 康元住職)において、初行成満 石井 皐晶師の帰山奉告式が営まれた。約百数十名の檀信徒と関係者が見守る中、午前10時00分より、石井 皐晶師をはじめとする出行僧7名が帰山旗をもつ檀信徒とともに、山門階段下から帰山行列を出発。山門を抜けて本堂前に到り、読経、記念写真撮影後、出行僧7名が水盤を囲み、迫力ある水行式が行われた。
帰山奉告式では、菅野 海應修法師会長により許証が代読され、皐晶師に授与された。行僧各聖の力強い読経と御宝前修法が行われた後、皐晶師により帰山奉告文が読み上げられた。堂内にいた檀信徒は各々、身命に合掌し、その様子を見守っていた。謝辞において、皐晶師から「両親(住職夫妻)、檀信徒の皆様のおかげで、三十年間生きてこられたこと、また令和十年には開山400年の節目を迎えることに対して、私としてどのように恩に報い、節目にどのように尽力できるのか?を考えた末、寒一百日の行を修めることを決めました。両親、檀信徒の皆様など様々な方に心配され、自分自身も本当に修めることができるか心配でしたが、色々な方々からの思いやりあふれる激励の声や願い、面会に来られた方々のお顔、励ましや成満を祈るたくさんの方々の想いがしっかりと届き、行に向き合う力となり、お経を読む声となり、百日間の行を乗り越えることができました。私の行ではなく、皆様の支えがあっての行だと思っています。本日、修法師に任命され、ここで終わりではなく、始まりだと思っています。新しい立場となって、今後は、妙蓮寺、住職夫妻、檀信徒の皆様のご恩に報いることを常に心にとどめて、皆様の一助となれるように精進していきたい」と涙ながらに力強く語った。式が終わると突如として降り始めた幻想的な雪景色の中、帰山式の幕は降ろされていった。
2025年2月16日号
神奈川1 菅野海睿師の帰山奉告式
【神奈川1】令和7年2月16日、横浜市港南区唱導寺(菅野 海應住職)において、初行成満 菅野 海睿師の帰山奉告式が営まれた。
午前9時50分、唱導寺裏手にある、日野公園墓地内、日野観世音菩薩像前において行僧による一読の後、午前10時より大勢の檀信徒とともに行列が出発。途中、唱導寺階段下、子育六地蔵尊前で読経、本堂前へ到着、その後出行僧七名による水行式が行われた。
帰山奉告式では、200名以上の檀信徒らに見守られる中、齊藤 憲弘副伝師により許証が代読、海睿師へ授与され、読経の後、海睿師により奉告文が読み上げられた。
菅野師は謝辞の中で「緊張で何をお話しようとしていたか忘れてしまいました。」と、胸の内を明かし、本堂内は笑みに溢れたものの、無事の成満を祈り帰りを待っていた家族や檀信徒、親友へ、涙しながら深々と頭を下げ、感謝の念を伝えた。また、「この100日間で培ったものをどういった形で皆様にお返しするのかを考えていきたい。」と修法師としての意気込みを述べた。
帰山奉告式の後、菅野 海應住職夫妻並海睿師による鏡開きが執り行われ、檀信徒らと共に盃を片手に成満を祝った。雲一つない快晴により春の訪れをも感じさせる温かな陽気の中、笑顔に溢れる帰山奉告式は幕を閉じた。
2025年2月15日号
神奈川1 柳下教明師の帰山奉告式
【神奈川1】令和7年2月15日、青空の広がる晴天の中、横浜市都築区川和町妙蓮寺(柳下 俊明住職)において、再行成満 柳下 教明師の帰山奉告式が営まれた。
100名以上の檀信徒と関係者が見守る中、午前10時00分より教明師をはじめとする出行僧7名が帰山旗や団扇太鼓をもつ檀信徒とともに、山門階段下から帰山行列を出発。山門を抜けて釈迦堂で一読後、本堂前に到り、読経、記念写真撮影が行われた後、出行僧7名が水盤を囲み、迫力ある水行式が行われた。
帰山奉告式では齊藤 憲弘副伝師により許証が代読され、教明師に授与された。その後、行僧各聖の力強い読経と御宝前修法が行われたのち、教明師により帰山奉告文が朗々と読み上げられた。謝辞において教明師は「再行という立場になって、改めて自分がどれだけ多くの人によって支えられていたのかを実感した。これからは皆様から得た恩を忘れず、両親や祖母、妻やこれから生まれてくるお腹の子、檀信徒さんを始めとした妙蓮寺を精一杯支えていきたい」と決意を新たに力強く語った。