全国の通信記事
2025年7月31日号
宮鹿沖 いのちを学ぶわんぱく寺子屋
【宮鹿沖】7月31日宮崎県都農町龍雲寺(吉田憲由住職)において毎年恒例のわんぱく寺子屋が開催された。
都農町は平成22年口蹄疫が発症した町で
3万頭の家畜のいのちが殺処分されて犠牲となった。
その時以来、命の大切さを伝えなければいけないと、吉田住職がいのちの大切さを伝える寺子屋を始め今回で15回目となる。
毎回「いのちに合掌」
をテーマに開催し、今回は大分県の上木龍雄師を講師にいのちの授業を開いた。
まず龍雲寺憲史副住職が干支の話をして動物にもいのちがある事を教えた。
その後、上木龍雄師が実際に
海で釣った生きた魚を見せて触れさせてから目の前で
さばいていのちに合掌し、感謝の気持ちを持って美味しくいただく事で、子供たちもスタッフの大人たちもいのちの大切さを学ぶ授業となった。
参加した一政誠太朗くんは「いのちを学ぶことで周りの人のいのちも自分のいのちも大切にしていかなければいけない」と思いました。と30名の参加者が共に「いのちに合掌」を学び合う寺子屋となった。
2025年7月28日号
長崎 第44回夏季仏教修養道場
七月二十八~二十九日、長崎県島原地区寺院で結成する「普賢会」は第四十四回夏季仏教修養道場を雲仙市 一妙寺を主会場に開催し、小学一年生~中学一年生の二十九名が参加した。
学校教育も多様化し、夏休みでも巣ごもりがちな子供たちを集めて、宗教教育と修養を根本とし普段の生活から離れた非日常的な活動を増やした内容で毎年実施し、今回で四十四回目を迎え、親が道場生という子も少なくない。
今の世情をみてみると、犯罪の低年齢化や複雑化・様々な自然災害や温暖化・外交問題などと沢山の諸問題を抱えていることがわかる。しかし、様々な問題を抱えていながら、私たち一人一人の関心が非常に薄いのが現実でもある。
そこで今年は、終戦八十年という節目の年。私たちは様々な命の「おかげ」を戴きながら日々生活していることを今回のテーマのひとつとして、仏教の教えを通して自分の肌で、様々な事に子供たちや私たち大人が少しでも関心を持ってもらえるように一日目は、マナー講習やワークショップ行い、道場生がお題目の写経と様々な想い・願いを一枚の紙に書き込み自身のお守りを作成。作成したお守りは夕方のお勤めの際、子供たちのお経の声とともに、入魂式を行った。
その後、震洋特攻隊の基地跡に移動し、地元の有識者である茂 和夫氏(日誠寺檀徒)に案内並びに説明をいただいた。夜は、飯盒炊飯やカレー作りを体験。スイカ割や花火を行い、にぎやかに一日目が終了した。
二日目は、地元の水産会社「ふくのたね」さんの協力の下、養殖場見学や養殖体験。また、魚の捌き方・切り身のやり方などを一人一人が体験した。家族形態が変わり、日頃家で調理することがなくなった子供たちは、昨晩の夕食と今回の体験を通し「生き物の命をいただく有難さ・作ることの大変さ・楽しさ」を肌で感じ、一人一人が様々な「おかげ」を戴きながら、生活していることに気づいたに違いない。
子供は本当に素直である。このような子供たちと一緒にこれから先、私たち大人は何をどう伝えていかないといけないのか、真剣に考えないとならない。
常識や考え方の大事な基準である宗教教育を学び・伝えることが、私たち大人 特に宗教者の役割であり、伝えることによって、大人自身も学び子供も得がたい体験をすることに意義を感じた充実した夏の二日間であった。
2025年7月19日号
宮鹿沖 戦没者慰霊行脚
【宮鹿沖】7月19日、鹿児島県南九州市知覧町で宮崎鹿児島沖縄県管区青年会主催の戦没者慰霊行脚を行った。この地は陸軍基地があり、本土最南端ということで最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名全体の半数近くが知覧基地から出撃した。
その地である知覧に、宮鹿沖青年会会長 田平光鵬師、全国日蓮宗青年会会長 工藤堯顯師約40人の青年僧が、特攻隊員のお世話に尽力し「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんの営んでいた富屋食堂(現在は資料館「ホタル館 富屋食堂」)から行脚を出発し、特攻平和観音堂にて一読戦没者に思いを捧げた。
その後、戦没者の手紙遺品のある知覧特攻平和会館で見学、鹿児島市教王寺で終戦80年知覧特攻隊慰霊法要が執り行われた。
参列された宗務院長谷川雄一伝道部長と宮鹿沖宗務所所長黒木浩順師の挨拶後、導師を勤めた 宮鹿沖青年会会長 田平光鵬師は「4回目にあたる今回は終戦80年の節目にあたり、例年通りの行脚に加え、戦没者慰霊・平和祈念法要をしたいという話がでた。しかし、知覧の観音堂では諸事情により、満足のいく法要ができないという見通しが強くなる中、教王寺住職冨田晃義師がお堂を快くお貸ししていただき、今回教王寺にて知覧慰霊・平和祈念法要をさせていただくことができた。
太平洋戦争末期、命をもかえりみず突貫した、若き人々の遺影や遺書等が数多く知覧特攻平和会館に展示されております。まだ二十代の特攻隊の 遺書の心境は、読めば読むほど言葉にならないものに感じられる。元々この行脚は、知覧とはどういう場所、特攻隊とはどういうものであったのかを知っていただきたいという思いから始まった。
知覧や特攻隊について知り、その想いを語っていただくのが最高の供養になるのではないか、まだ四回目で日が浅いが、年々この地を知っていただき、四年前までお題目が響くことのなかったこの地にお題目が響き渡ることができるようになったのは、皆様のお心のおかげさまでございます。今後もこの知覧行脚を続けていけたら幸いです、改めて青年会一同御礼を申しあげます」と述べた。

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