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2023年8月21日号
長崎 梶原北天上人本葬儀
【長崎】8月21日、長崎県西海市実相寺院首梶原北天師の本葬儀が、日蓮宗管長菅野日彰猊下大導師のもと、副導師に長崎管内寺院である光伝寺院首池田弁岳師、誠孝院住職松尾辨尚師、妙法寺住職渡部智文師、妙宣寺住職小佐々恵宏師、そして有縁の式衆出仕により、数多くの教師・檀信徒・有縁の方々と共に厳かに営まれた。
まず本葬儀に先立ち一級法功彰が管長猊下より御宝前にて授与、歎德文では60余年に及ぶお二人の思い出を時に声を詰まらせながら述べられた。弔辞は田中恵紳宗務総長、島原市護國寺住職岩永泰賢師、大島造船所南尚氏より述べられ、北天師の言説布教の素晴らしさや宗門企画立案などの手腕、人との触れ合いを大切にし「お寺をより楽しくする」を念頭に活動されていたこと等が挙げられた。
梶原北天師は、昭和12年生。昭和37年24歳で不滅山実相寺第22世住職となる。布教師会長、宗務所長、宗会議員等を歴任され、平成29年に法燈を現住職一乗師に譲るまで住職歴は55年を数え、役職を務める中、宗門の多くの教師と親交を深めてきた。
一乗師によれば、師父はとりわけ現菅野管長猊下とは本当に心を許す間柄であり、ご両人にしか解り得ない何か特別なものがあるのではと語る。また、一度会われた方は強い印象を受けるようで、実業家(大島造船所幹部役員他)、政治家(山田正彦氏)、作家(宮崎康平氏)、落語家(柳家小さん師匠、立川談志師匠)、タレント(永六輔氏、松島トモ子氏)、音楽家(中村八大氏、山口修氏)、浪曲師(澤孝子一門)、講談師(田辺鶴英一門)、将棋棋士(深浦康市氏、瀬川昌司氏)、プロゴルファー(大迫たつこ氏)など、多岐多才な方々と交流を続けてきた。そうした方々と長年活動を続けてこられた師父の凄さは、すべての人に分け隔てない心配りや気遣いが自然と出来る人柄にあったのではないかと振り返る。
北天師は「願わくば ぴんぴんころりと 我往かん 寒椿の 散るが如く」という詩を色紙にしたためており、7月14日の朝勤後、檀信徒との歓談を済ませた後、しばしの時を経て、静かに布団に横たわって眠るように遷化された。「ピンピンころりの大往生」とは、将にこのことではなかろうかと感じさせられた。
2023年7月7日号
神奈川3・小田原市清光寺で蔦野明雄上人本葬儀
【神奈川3】七月七日(金)、小田原市中町清光寺にて、清光寺第四十四世、蔦野明雄・大教院日盟上人の本葬儀が執り行われた。
本葬儀は法縁・管内有縁の教師 三十余名、檀信徒五十余名が参列し、小田原市城山法授寺住職岩田譲晃師を大導師に、本光寺三宅恵鐘師、妙善寺院首加納信悟師を副導師に管内有志出座のもとしめやかに行われた。
式中の歎徳文で岩田導師は、「幼少より学業に勝れ、湯河原町立湯河原中学社会科教諭に就任以後、小田原市内各中学を歴任し地域における文教に貢献することは大なり。清光寺護持発展、正法興隆にその身を奉げし上人、一念随喜の功徳を以て頓正菩提の心に任せ給わん事を」と上人の徳を称えた。
また、山﨑浩道神奈川三部宗務所所長が参列教師を代表し弔辞を述べた。
遺弟である蔦野妙真住職は「酷暑の中、多くの方の参列を頂き師父への読経を頂いたことに深く感謝申し上げます。師父は最後闘病中でありながら酷く痛み苦しみもなく最後まで穏やかに過ごせることができました。師父の大好きな甘物を病室へとどけ、喜んでいる笑顔は忘れることができません。」と参列者へ謝辞を述べた。
葬儀終了後、遺族・参列者一同は清光寺歴代廟に詣で納骨式が行われ、上人の遺骨は埋葬された。
2023年6月25日号
長野 小諸市尊立寺で法灯継承式
【長野】小諸市尊立寺で6月25日、第18世鈴木裕皓上人の入寺式と第17世鈴木晃慈(常教院日行)上人の本葬儀が営まれた。当日は管内より約20名の僧侶と60名の檀信徒が参列。午前には入寺式が厳粛に進められ、清々しい読経と唱題、楽の笛の音が堂内に響き渡った。法要後、挨拶に立った鈴木裕皓師は「晃慈上人は、この世界にはおられませんが、私は上人の背中を追って上人に近づくべく精進して参ります。」師匠への報恩の思いが参列者の胸に響いた。
また同日午後には、2月23日に世寿77歳で遷化された同寺第17世鈴木晃慈(常教院日行)上人の本葬儀が営まれた。師は尊立寺第17世として住職就任以来、約半世紀に渡り法燈を守り、長野県宗務所副長、長野県修法師会長を歴任、また日蓮宗長野県北信同志会会長を一期務め、二期目に就任したばかりであった。本葬儀ではその功績により2級法功章の授与がなされた。