2023年2月20日
東京東 京浜教区教化研修会議
【東京東】日蓮宗京浜教区七管区宗務所並びに日蓮 宗現代宗教研究所主催の第四十七回京浜教区教化研修会議が東京都東部宗務所(沖真弘所長)担当の元、二月二十日、TKP東京駅カンファレンスセンターにて開催され、教師・寺族併せて一〇六名が参加した。
今年度のテーマは「葬式仏教再興」。
まず開会では、沖所長発音による唱題の後、茂田井教洵京浜教区長が、他宗の葬儀に参列した経験から我宗も二の轍を踏まぬよう今こそ葬式見直すべきという挨拶をなされた。
続いて挨拶をされた沖所長は、自身が葬儀や供養に対してとある問題意識を長年抱えている事、多かれ少なかれ今日の出席者も皆なにかしらの問題意識を持っているであろう事を述べると共に、今回の研修会議でその答えを各々が持ち帰る事ができればと期待を示された。
その後、一人目の講師である薄井秀夫氏(株式会社寺院デザイン代表取締役)が「死と向き合う宗教としての葬式仏教 ─葬式仏教から仏教が復興する―」と題する基調講演をなされた。
薄井氏は、まず、寺・墓・葬式の三離れといわれる現在においても、実は一般的に葬式仏教は批判されていないという事を示された。
そして、葬式仏教というものが日本でいかにして生まれたかを振り返るとともに、それによって現在も「故人のあの世での幸せを願う気持ち(≒供養をする事が大切であるという考え)」が多くの日本人に根付いていると言及された。
一方で、実際に行われている供養の儀式については当事者意識を持ちにくく、故に檀信徒は満足感も覚えづらい状態にあり、この事、つまり仏教側が思いに応えられていない事こそが問題であると指摘され、葬儀や供養において参列者への説明や参加ができるような試みを、葬儀社等と連携しながら行っていくべきであると提言された。そして、「葬式仏教は日本人が死と向き合うために生まれた宗教であり、生者と死者が互いに思いやりあう美しく優しい信仰である。そのささやかな祈りを、育んであげる事こそが宗教者の務めではないか。」と締めくくられた。
次に、二人目の講師として鈴木隆泰師(江東区善應院住職・山口県立大学国際文化学部教授)が「葬式仏教正当論」と題する基調講演をなされた。
鈴木師は「インドの仏教」について、『大般涅槃経』の記述やインド社会やその歴史に言及しながら、在家者の葬儀を行えないが故に人々の願いに応え切れず、インドの宗教として生き残る事ができなかったと述べられた。
一方で、日本人の他界観に葬式仏教として応じる事ができた日本の仏教は今日まで生き残ってきたが、マッチしすぎたがゆえにそれ以外の願いへの対応が後手に回り現在の三離れ等の問題を引き起こしてしまっていると指摘された。
そして、他宗教と違い、「何であれ善く説かれたもの(善説、スバーシタ=真実の救済手段)であれば、それは『誰が説こうとも』すべてが世尊・応供・正遍知のお言葉(=釈尊の直説)なのである」という特性を持つ仏教は、本来、時代や地域を問わず、人々の願いに応える事ができるものである述べられ、さらに自身の大学での講義における若者の姿を例に挙げながら、仏教的なものの見方や生き方が若い世代の興味を惹くものでありまた救いになるものでもあると強調された。
最後に、仏教が元来有する力を以って、日本の人々の安心に応える事ができるよう、信頼を得られるよう、僧侶各々が取り組んでいく事で諸問題はおのずと解決すると締められた。
その後、少人数のグループに分かれ分散会に取り組んだ参加者は時間いっぱい大いに意見を交わしあった。
再び、全員が元の会議室に集まって行われた全体会議では、菅野龍清現代宗教研究所主任が、コロナ禍によって久しぶりの開催となった京浜教区教化研修会議において、「葬式仏教再興」というテーマの元、このように多くの方が参加された事、そして分散会において示されていた各聖の工夫に富んだ布教方法に、京浜教区の各聖が僧侶や寺院の未来を真剣に考えているという事を強く感じたと総評した上で、更に現代宗教研究所ではそういった(各聖分散会において示されていたような)布教方法をデータベース化しようと考えていると述べられた。
閉会では、令和五年度担当管区東京都西部から加藤正道宗務所副長が来年度開催に向けての抱負を述べられ当研修会議を締めくくった。