全国の通信記事
2024年4月8日号
神奈川3・厚木市妙傳寺で釈迦堂耐震工事完成式典
【神奈川3】日蓮大聖人星下りの霊蹟で知られる厚木市上依知の妙傳寺(宇都宮教侃住職)では、四月八日灌仏会に合わせて釈迦堂の耐震改修工事完成式典が行われた。厚木市指定有形文化財である釈迦堂には、総本山身延山久遠寺と能登の本山妙成寺と同じく丈六の釈尊立像がお祀りされている。
釈迦堂の由来は約三百二十年前、当時の住職が江戸幕府に禁じられた「不受布施」の教義を唱え、廃寺となった。その後二回にわたり星下りの奇瑞が現れ、伝え聞いた水戸光圀公が幕府に復興を要望され、常陸の加倉井妙德寺より日遥上人を派遣し妙傳寺が再興された。その時に建立されたものである。
そしてこの度、来るべき大地震に備え、住職檀信徒一丸となり大事業を完遂した。
宇都宮住職は「檀信徒のご理解ご協力を得て耐震化が実現し、感謝しております。霊蹟を守ってきた人々の想いを大切に、これからも妙傳寺が栄えるよう努力致します」と感謝・決意を述べた。
2024年3月28日号
東京西 小説家泉鏡花改葬法要
【東京西】3月28日(木)10時半から新宿区圓福寺(住職長亮達師)に於いて、泉鏡花(1873-1939)の改葬法要が執り行われた。
泉鏡花は日本の小説家で明治後期から昭和初期にかけて小説のほか、戯曲や俳句も手がけた。代表作は「高野聖」、「婦系図」、「歌行燈」などがある。
圓福寺とは夫人のすず氏が23世長亮静師に帰依して信徒となった頃から始まる。当時の圓福寺の墓地は杉並区にあったが、鏡花は都立雑司ヶ谷霊園に埋葬された。墓地継承者の岡本卓三氏(泉鏡花の親戚)は、同霊園では継承者がいなくなると石碑等は撤去されることを知る。お墓を残すために泉家の菩提寺であった25世長亮正師に相談した末に、圓福寺が境内地を拡張してつくった墓地に雑司ヶ谷霊園から石碑を移転し、改葬をすることとなった。
参列された岡本氏からは「菩提寺である圓福寺にお墓を移せたことが何より嬉しい、戻るべき場所に戻ってきた。」などの声が聞かれた。
2024年3月26日号
神奈川2 第17回寺子屋
【神奈川2】神奈川県第二部青年会(会長 横須賀本行寺住職品田祥哉)では、日蓮聖人四大法難の一つ、寂光山龍口寺をお借りしまして、三月二十六日(火)~二十七日(水)小学生十一名が集まり行われました。感染症が拡がってから、五年ぶりの泊りでの開催となりました。
一日目、季節外れの雨が降る中でのはじまりであった。予定していた江の島散策は危険と判断し、近くの水族館散策。夜は食事の有難さを言葉に表す「食法」唱え。口に運ばれるまでの作物を作ってくれる方、運んでくれる方、調理してくれる方、沢山の方によって頂ける感謝。そして普段自宅で作ってくれる方々に感謝することを学んだ。
夜は、暗いお堂の中ではじめて体験する唱題行。静かに無音を過ごす時間と太鼓に合わせてお題目を唱えた。
二日目、朝暗い時間に目をこすりながら本堂でお経を唱えた。朝食後は、篠田仏具店さんによる、御香のお話し、どんな香りがあるのか香りを味い、それぞれ気に入った香りで匂い袋を作った。二日間たつのは、早いもので参加者は「来年も参加したい」と言って帰って行った。