全国の通信記事
2023年7月19日号
宮鹿沖 知覧特攻戦没者慰霊行脚
【宮鹿沖】7月19日宮崎鹿児島沖縄三県日蓮宗青年会主催で、田上義尚会長 、田中直秀実行委員長のもと鹿児島県南九州市知覧町で、『知覧特攻戦没者慰霊行脚』が行われた。
行脚には、第34代全国日蓮宗青年会 塩田義照前会長と第35代横井通泱会長
をはじめ全国から29名が集まった。
出発地は、富屋食堂の女将で、多くの特攻隊員のお世話をしていたことから「特攻の母」と呼ばれ、隊員をわが子のように慈しみ、私財を投げ打ってまでも親身に接した。鳥浜トメさんが営んでいた軍指定食堂である「富屋食堂」(現在は資料館「ホタル館 富屋食堂」)。その富屋食堂に鳥浜トメさんのひ孫で現富屋食堂館長、語り部の鳥浜拳大(とりはま けんた)さんが駆け付け見送り、そこから本格的な特攻作戦の最後である第11次総攻撃の終了の日7月19日に合わせ、約一時間慰霊行脚が行われ、陸軍特攻戦死者1, 036名の御霊の眠る特攻平和観音堂にて一読。その後、知覧特攻平和会館にて特攻隊の手紙写真などの資料を見学、特攻隊の想いを後世に語り継ぐ語り部の講話を聴いた。
この行脚は、一昨年のコロナウイルスにより行脚、法要行われなかった「第59回全国日蓮宗青年僧九州結集鹿児島大会」を機会に、太平洋戦争末期の沖縄戦で、本土最南端の神風特攻隊の出撃地となったこの地南九州市知覧町で開催となった。
今回『知覧特攻戦没者慰霊行脚』の実行委員長を勤めた田中直秀師は、「第59回全国日蓮宗青年僧九州結集鹿児島大会の際に、オンライン結集となってしまい、現地に皆さんが集まれなかった。ようやくコロナウイルスも落ち着いてですね。全国から数多くの青年僧の皆さんが集結していただいて、本当にこの唱題行脚できましたこと、本当に感無量でございます。ありがとうございました。」と熱く語った。
2023年7月9日号
岐阜 岐阜空襲の日慰霊行脚
【岐阜】7月9日、岐阜空襲の日と名付けられた今日、岐阜青年会によって慰霊行脚が執り行われた。岐阜市内各寺院では慰霊読誦を行い、僧侶や檀徒が参列し、犠牲者に祈りを捧げた。団扇太鼓の鳴り響く音と、お題目の祈りの声が、平和の尊さを再確認し戦争の惨禍を忘れずに、心に希望を届ける一日となった。
2023年4月16日号
長野 身延山行脚隊が⾧野市蓮乗寺へ
【長野】令和5年は日蓮大聖人が身延山に御入山されてから750 年の節目となる。大聖人が佐渡から鎌倉に戻られ、そして身延に御入山されるまでの当時の足跡を辿り、各地の霊跡において唱題行脚を行う記念事業が営まれている。令和5 年4 月16 日、行脚隊が⾧野県⾧野市松代蓮乗寺(早川要清住職)に到着した。蓮乗寺は、文永8(1271)年大聖人が佐渡御配流の際に立ち寄り、3 年後の文永11(1274)年佐渡御赦免の折に再び当地を訪れ、大聖人に深く帰依していた当地の豪族、久龍源吾氏の館に一泊し宗祖より“蓮乗”の法号を賜ったことが起源と伝えられている古刹です。身延山久遠寺布教部・豊田慈證部⾧を先頭に、身延山内や全国日蓮宗青年会などから出仕した僧侶と地元の檀信徒、総勢40 名程からなる⾧い隊列が団扇太鼓を手にし、750 年前の想いを胸にそれぞれに力強くお題目を唱え町内を行脚した。蓮乗寺には、住職と管内僧侶・護持世話人など70名程が参集し行脚隊を迎えた。朝方まで降っていた雨も行脚隊の出発前に止み、澄みきった春の青空に響き渡る「南無妙法蓮華経」の声と団扇太鼓の音。住民は沿道から一行に手を合わせた。進む隊列は最後まで声高らかにお題目を唱え、町内を浄め約3キロメートルの行程を練り歩いた。豊田布教部⾧は、「日蓮大聖人が佐渡御赦免になり、佐渡から鎌倉に戻られ、そして身延山へ入られて750 年。この記念すべき年に大聖人の足跡をたどり、その際お立ち寄りになった霊跡でお参りさせていただいた。盛大にお迎えいただいた事に御礼申し上げます。」と感謝を述べた。また、蓮乗寺早川住職は「蓮乗寺は身延山と共にある。文永8年(1271)秋、日蓮大聖人が鎌倉より佐渡へ参られる御配流の時からのご縁をいただき、蓮乗寺も同じく開創750 年を迎える。750 年前、久龍源吾氏がどのような想いで佐渡からお戻りになられる大聖人を迎えていたのかということを深く考えた。心からお待ちをしておりました。」と想いを話された。遠方より駆けつけた檀信徒さんは「当時お立ち寄りになった日蓮聖人と、お出迎えになった久龍源吾氏、750 年前のお姿が時を超えてそこにあったように見えた。感動しました。」と語った。改めて大聖人の御生涯を思い、報恩感謝の心を共にする機会となった。