オピニオン
2015年12月20日号
孫がコマを持ってきた。紐を巻いて回す
孫がコマを持ってきた。紐を巻いて回す。昔とった杵柄、地面に落とさないで空中で返して掌に乗せる。やんやの喝采を浴びる▼小学生の頃、正月前のこの時期になると、誰からともなくコマ回しを始めたものだ。ただ回すのではなく、コマを掌の上で回しながら鬼ごっこをするのである。鬼も追いかけられる者も、回っている間だけ走ることができる。コマ回しが下手だとすぐつかまってしまうから、誰もが真剣に練習した▼中にずば抜けてうまい友人がいた。彼は誰よりも長い時間、掌に乗せていることができた。その秘訣を聞くと、いいコマを充分勢いを付けて回すことだと教えてくれた▼単なる子供の玩具だ。心棒が曲がっていたり、中心からずれているのが多い。彼はコマを買うときこれをよく見て、丹念に選ぶのだという。一方良くないコマは留まることなく暴れ回りすぐ停まる▼近年の世の有様を見ていると、まるで不出来なコマが投げ飛ばされたように思える。ただし、激しく動くということは、力が強いということでもある。これは必ずしも悪いこととはいえない。力強さは世を変える力でもある▼そこで大事なのが心棒である。どんなに周囲が激しく回っていても、心棒が真っ直ぐ中心に位置していれば、暴れ回ることはない。宗祖が身命を賭して伝え広めようとされた法華経お題目の教えこそが、今必要な心棒だと言いたい。(直)
困難に遭っても
漢方薬を服用すると、良くなる前に体内の毒素が排出され一時的に体調が悪くなることがあります。これを瞑眩(めんげん)といい好転する兆しとなりますが、同じ様に、法華経には信仰する上で過去世の宿業が顕れ難に遭うことが説かれます。
日蓮聖人は「我今度の御勘気は世間の失一分もなし。偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」(『佐渡御書』)と、法華経を信仰する上で法難として流罪を受けることは、今までの宿業を解消する機会であり、後生に悪しき道へ堕ちるのを防ぐものであると受け止められました。
我々もお題目という良薬を唱え服する上でさまざまな困難に遭っても、日蓮聖人の大難に比べれば小さな難で済んだと受け止め、好転する兆しとして乗り越えてゆくことが、聖人に近づく一歩となると思われます。
(新潟北部布教師会長・小瀬修達)
2015年12月19日号
北海道北 歳末助け合い募金
【北海道北】平成27年12月19日 北海道北部宗務所と北海道北部社教会の合同主催のもと青年会の協力を得て、歳末助け合い募金が旭川市内の二箇所において行われた。
今年も雪の降る中にも関わらず、沢山の方々から募金をいただき、集められた158,235円は12月28日に北海道新聞社会福祉振興基金へと寄託させていただきました。