2021年10月25日
神奈川2 三田村日正師100歳に
【神奈川2】京都市大本山妙顕寺(及川周介貫首)院首の三田村日正師(松戸市本山本土寺(宮崎日純貫首)元貫首・逗子市法勝寺(三田村昌鳳住職)元住職) が来年3月に百歳を迎えられるということで、菅義偉元内閣総理大臣より表彰状と記念品の銀杯が贈られた。百歳を目前にして、三田村師が感じたことは何においても深い感謝であるという。師は21歳の時、学徒出陣により立正大学を中退せざるをえなくなり、陸軍航空技術学校に入学。卒業後戦闘機の操縦士となり宮崎県の都城西飛行場の飛行第102戦隊に配属され、やがて隊ごと特攻隊に任命された。特攻隊配属の日、上官の第一声は「貴様らは死ぬんだから今すぐ身ぎれいにして遺書を書け」だった。もう命はないものと思い訓練に明け暮れたが、出撃当日に身体の不調で起き上がれず出撃出来なかった。一緒に出撃予定だった同僚には、最後に声を懸けることも見送ることも出来ず、後悔が今でも残るという。次に配備されたのは鹿児島県知覧にある特攻基地。程なく激化した沖縄戦へ出撃命令が下り、三田村師も出撃準備をしていると、上官から「死ぬのはいつでも出来る。お前達若者がこれからの日本を考えなきゃだめなんだ」と止められ、結局出撃することなく終戦を迎えた。今でも戦争時の夢を見て、その度に戦死した戦友達に申し訳なく思うという。「生き延びた訳ではない。死に損なった」と師。それからも死は身近にあった。心臓や肺の病魔に襲われ死線を彷徨うこと数度。しかし、不思議なことに今百歳を迎えようとしている。現在、師は寺坊にほど近い介護福祉施設で生活をおくる。そこで、家族や職員に支えられながら、毎朝お勤めをしてお題目をお唱えする。『諸法実相抄』に説かれているように「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへてあひかまへて信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし」日々、お題目のお力に生かされていると感じる。戦後、僧侶として生きていくなかで、やるべきと思ったことは何でも実践してきた。本山大本山の貫首、宗内では宗務所所長や全国社会教化事業連合会会長を歴任した。特に力を入れて取り組んだのは教育で、幼稚園や保育園の園長として長年取り組んできた。その時々で、いろいろな人に支えられ助け合いながらどうにかやってこられたことに対して、“有り難い”との思いを強く胸に抱いた。この度授与された表彰状と記念品の銀杯は、施設のエントランスに飾られ、入居者が通るたびに長生きにあやかろうと手を合わせていく。また、施設で朝のお勤めをしていると、私も一緒にお題目を唱えたいと参加を希望する入居者が来て、お経本を持って一緒にお経やお題目をお唱えしている。生かされている、まだまだやるべきことがある。日蓮聖人の教えとお題目をこれからも次代へと伝えていきたいと意欲を燃やしていた。
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