2014年7月29日
新潟西・妙覚寺で入寺式
【新潟西部】七月二十九日、柏崎市藤井の妙覚寺で第二十世野口啓隆師の入寺式が営まれ、教師檀信徒約百人が参列した。
妙覚寺は文明年間創立の古刹で、記録によれば火災で一度は荒れ地になったが、後の天和年間に法雲院日泉上人が焼け跡より釈迦牟尼仏の像を発見し、草庵を結び中興となったと伝わる。近年にも中越・中越沖と二度の大地震にあったが住職・檀信徒は力をあわせて寺を護ってきた。この頃、前住職の佐々木敏雄上人闘病の為に暫く代務住職が勤めたが、良縁あって、「いつか故郷新潟の寺で住職をしたい」との夢を持っていた野口師の願いが叶い、この日入寺式が営まれる事となった。
式当日はあいにく朝からの雨模様で行列は無理かと思われたが、予定時刻には晴れ間も見え、檀信徒のお題目の声が響くなか野口新住職がに温かく迎えられた。本堂いっぱいの檀信徒が見守る中、六年間代務住職を勤めた秋山文裕師(刈羽妙満寺住職)から野口新住職に払子が手渡され、式は滞りなく進んだ。檀家総代の田村省二氏は謝辞で「新住職は入寺前から、檀家の少ないこの寺に住み込んで一生懸命に勤めて下さった。私達も、これまで以上にお寺と住職の為に尽くしたい」と語り、最後に野口新住職が寺門繁栄と正法護持の決意を述べ、無事式を終えた。式後は会場を移して祝宴が開かれ、参列者は今日の喜びを分かちあった。
妙覚寺は文明年間創立の古刹で、記録によれば火災で一度は荒れ地になったが、後の天和年間に法雲院日泉上人が焼け跡より釈迦牟尼仏の像を発見し、草庵を結び中興となったと伝わる。近年にも中越・中越沖と二度の大地震にあったが住職・檀信徒は力をあわせて寺を護ってきた。この頃、前住職の佐々木敏雄上人闘病の為に暫く代務住職が勤めたが、良縁あって、「いつか故郷新潟の寺で住職をしたい」との夢を持っていた野口師の願いが叶い、この日入寺式が営まれる事となった。
式当日はあいにく朝からの雨模様で行列は無理かと思われたが、予定時刻には晴れ間も見え、檀信徒お題目の声響くなか野口新住職がに温かく迎えられた。本堂いっぱいの檀信徒が見守る中、六年間代務住職を勤めた秋山師から野口新住職に払子が手渡され、式は滞りなく進んだ。檀家総代の田村省二氏は謝辞で「新住職は入寺前から、檀家の少ないこの寺に住み込んで一生懸命に勤めて下さった。私達も、これまで以上にお寺と住職の為に尽くしたい」と語り、最後に野口新住職が寺門繁栄と正法護持の決意を述べ、無事式を終えた。式後は会場を移して祝宴が開かれ、参列者は今日の喜びを分かちあった。