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2017年2月13日

長崎 青年会が離島布教

長崎170315 (6)【長崎】平成二十九年二月十三日、長崎県佐世保市宇久平港桟橋前に集まった約六十名の檀信徒はある人物を待っていた。午前八時五〇分、こちらへ近づいてくる三艘の漁船が見えた。と同時に団扇太鼓の音がかすかに聞こえる。それぞれの船首に人影が確認できた。今年長崎県から荒行を成満されたお上人方だ。そしてお題目の声も次第に大きく聞こえてきた。桟橋で待つ檀信徒も団扇太鼓を打ち、お題目を唱え始めた。桟橋に到着した船から真っ先に降りてこられたのが、檀信徒が待ち焦がれた、宇久島妙蓮寺住職 佐々木浄榮上人その人だ。皆の前で合掌し「私、佐々木浄榮、壱百日間の修行を終え只今帰って参りました」と深々と頭を下げた。檀信徒からは「お帰りなさい」と拍手が起こった。これから帰山式が行われるお寺に向けて行脚が始まる。と、その前に時は少し遡る。
平成二十五年十月、長崎県五島列島の最北端の島・宇久島に、一人の青年僧が降り立つ。先述した佐々木浄榮上人である。島に二箇寺ある日蓮宗寺院の一つ、妙蓮寺に入寺するためだ。いわゆる在家出身。しかもスカウトされての出家である。佐々木上人の前職はカフェの経営者兼シェフ。福岡の中心街で念願の自分の店をオープンさせ軌道に乗せるべく一心不乱に働いていた頃である。長崎県佐世保市にある日蓮宗寺院の住職がたまたま佐々木上人の経営するカフェに立ち寄り、その接客態度に惚れ込んだ。そして「シェフ、あんた坊さんに向いていると思うよ。やってみないか?」と度々そのカフェに通い、口説き落とした。二年間ほど身延山久遠寺等で修行し、晴れて平成二十五年十月九日、住職として妙蓮寺に迎えられたのである。
その入寺式の最中、我々は衝撃的な言葉を聞いた。総代の謝辞で「今度こそ、この島に大きくて重い鋼鉄の碇をおろしてくれ」と懇願されたのだ。この妙蓮寺をお釈迦さま・日蓮聖人のみ教えで潤して欲しい。そうしてくれれば我々はどこまででも付いていく、と訴えられた。その背景には数年で住職が何度も代わるという事態を檀徒たちが経験していたからだ。過疎が進み最盛期には一万人を超えていた人口は二千五百人を割込み、当然檀家も減少傾向にあり、寺だけでやっていける限界ライン。主だった観光資源もなく、主な産業は漁業。佐世保港からフェリーで三時間以上の距離等からも、生活していくには安易な気持ちでは成り立たない場所。そんな宇久島に重い碇を下ろすべく降り立った佐々木上人は、檀信徒と同じ目線で接する。積極的に島民の集まりにも参加し、伝統芸能保存会に所属し、島の伝統芸能の継承に勤めている。毎月檀信徒と共にお経の練習会も行い、夫婦共に島に溶け込む努力を惜しまない。三年以上経った現在では完全に「島の和尚さん」として溶け込んでいた。
だが、もともとこの妙蓮寺は祈祷寺。佐々木上人もいつかは修法師になりたいという思いがあった。しかし寒壱百修行の荒行堂に簡単には入れない。百日間以上お寺を空けねばならないし、妻と生まれて一年足らずの幼児をおいて行かねばならない。行きたいから修行に行くというのは、家族にも檀徒にも余にも無責任。そこで長崎県日蓮宗青年会として会員である佐々木上人を、留守中だけでなく入行の準備・帰山式の支度等々、サポートしようということになった。さらに住職不在でも総代・役員を中心に佐々木婦人親子をサポートしてくれるということにもなった。入寺以来努めてきた努力の賜物であろう。
平成二十八年十一月一日、寺の心配もあろうが、家族、檀徒に後を任せて、自分の修行に専念すべく意を決し佐々木上人は日蓮宗大荒行堂の瑞門をくぐり結界の中へ入っていった。
佐々木上人の入行中、妙蓮寺と総代役員、それから青年会で何度か打ち合わせを行い一月の寒行と二月の離島布教としての帰山奉告式の準備を進めた。初めは街頭布教・唱題行脚等も考えたが、島という環境を考えると大それた布教活動はできない。
実は入行前、佐々木上人からもう一つ相談を受けていた。それは今後のお寺の行事、島の行事に繋がっていくようなことを帰山式の際に行いたいと。そこで青年会として、宇久の主な産業は漁業であるから、大漁祈願・海上安全の漁船への漁船のご祈祷と、宇久島には古くから海への感謝と畏怖の念、また海難事故死者を弔うための恵比寿信仰が根付いているために、それを海上で行う海施餓鬼法要を提案した。
帰山式と二つの法要を案内するポスターを港や商店・旅館等、町中に配ってまわった。
かくして二月十三日を迎えたのでる。前々日は寒波の影響で高速船が欠航になるほどであったが当日は佐々木上人の成満を祝うかのように空は晴れ渡った。
九時半の水行式で帰山式が始まった。集まったおよそ二〇〇名の中には檀信徒以外の方々も多数いて、ポスター、総代・役員さんの呼びかけ等によるものであった。初めて水行や法楽加持を見る方も多く、その迫力に圧倒されながらも、貴重な体験をしっかりと眼に焼き付けて涙を流す者もいた。
式中、佐々木上人は檀信徒に向い再び深く頭を下げ、そして語り始めた。「入行して驚いた。あまりにも厳しく、こんなにも酷い世界があるのかと。そして行堂の御宝前が醜い地獄絵図に見えた。一週間ほどして自分には無理だった、もう辞めようと思うようになった。お昼に水行場で順番を待っている時、ふと見上げると空は綺麗に晴れ渡っていた。この空はどこまで続いているのだろうかと考えた。そっかこの空は宇久島まで続くんだよなと思った瞬間、自分を送り出してくれた人達の顔がはっきりと頭に浮かんだ。駄目だ、辞めるなんて思ってはだめだ。それからごめんなさいという気持ちで必死にお経を読み、水行をした。すると今まで苦しくて仕方なかった身体や気持ちが急に楽になり修行に集中することができた。鬼子母神様や水神様は本当にいらっしゃると実感することができた。三年前に自分を快く受け入れてくれて、今回も修行に行かしてくれた。自分は恵まれている人間だと思います。皆さん本当にありがとうございました。」と三たび頭を下げた。檀信徒からは涙交じりの盛大な拍手が送られた。
帰山奉告式が終わると、もう一つのメインでもある、海施餓鬼と船祈祷に向った。この度の海施餓鬼法要は、海岸に祀られている恵比寿天の前で一読した後、実際に漁船に乗り沖に出て、水に溶ける散華を海にまき、読経・唱題を行い供養した。続けて、漁港集まった四三艘の漁船と船長さんに向けて、海上安全と大漁祈願のご祈祷を行った。集まった漁船はどれも各々大漁旗を掲げており、晴れた空のもと冷たい海風に靡く鮮やかな旗と船の姿はそれは雄大であった。
総代さんによると今回の参加数は島の祭りに匹敵するほどだったという。お寺を盛り上げて行きたいという檀信徒の熱い思いを垣間見ることができた。昨今長崎の離島は世界遺産などで注目を集めている一方そのような集客資源がない島は信仰どころか島の存続事態が危機に瀕している。島の自然環境・社会環境を考えると、本土のそれよりもはるかに厳しい現状のもとで生活を繋いでこられた。ご先祖から絶えることなく受け継がれてきた篤い信仰に触れることができ、参加した私たち十三名の青年会員は、貴重な経験を積めた。布教を行いにいったつもりが、反対に信仰とはこうあるべきだと、布教されて帰ってきているそういう気持ちになる。

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