鬼面仏心
2021年12月1日号
■どういう人間に
最近ふと考える。自分はどういう人間になりたいのか、と。若い頃ならば、「あの職業に就きたい」などと夢を考えるとは思うが、「どういう人間に」とは自分でも意外だった▼以前、外国で地下鉄に乗ろうと駅入り口の扉に向かっていたら、先に入ろうとした女性が扉を開けてわざわざ待っていてくれた。待つ時間にしてだいたい5秒。特急に乗ったときには、女性車掌がスーツケースの整頓をしていたら、若い白人の男性が飛び出して車掌の手伝いを始めた。そういう人間になろうと思った▼現在、新幹線や飛行機に乗るときには周りの様子を見る。スーツケースを棚にあげるのに大変そうな人がいないか。いたら、離れていても手伝う。エレベーターでも出る人、入る人が終わるまで扉を押さえる、など、単純でもできることをする▼ほか混雑する駅などで横から割り込んでくる人に対しても「お先にどうぞ」という気持ちを持つようにしている。怒っている時間があるならば、もっと大切なことを考える時間にあてた方が幸せだと考え直すからだ▼功徳を積みたいわけではない。いろんな人に教えられたように、誰かに伝わってほしいとは思う。世の中本当に他人に教わることばかりだ。ただ残念ながら小さな画面に集中していると、たくさんのことを見逃す。大人になったあなた。どういう人間になりたいですか? (緑)

2021年11月20日号
■ケガの功名
コロナ禍で大揺れに揺れた教区開催の降誕800年慶讃法要。それぞれの教区が感染予防に苦慮し、無観客ならぬ無檀信徒の中で、智恵と工夫を凝らし、異体同心の協力の下、祖恩報謝の誠を込めて行われた。成功の裏には管長猊下のご理解とご協力が大きかったといえる▼この慶讃教区大会で特筆すべきは、慶讃法要とは別に唱題行が必修条件として取り入れられたことだ。日蓮聖人は「お題目を伝えた」というが、正しくは「お題目を唱えることを伝えた」のだ。「二陣三陣続けよかし」と言われた日蓮聖人の降誕800年。その日蓮聖人がもっとも喜ばれることは、800年後の私たちが至心にお題目を唱える姿をお見せすることではないだろうか。コロナ禍のため残念ながら檀信徒とともにお唱えすることができなかった唱題行。しかしそのために行われたオンラインにより、世界中の有縁の人びとと唱題行ができたのは新しい発見といえる▼日蓮聖人降誕以来800年。これまで行われてきた言説や文書による伝道方法に、オンラインによる伝道という新しい手法が生まれたのは、コロナ禍のケガの功名といえよう。慶讃本部が行っている「オンライン唱題行」には、常連の参加者が増えているという。僧侶・檀信徒ともに柔軟に新しい技法を受け入れ、活用できるように学びを深めていくことが重要だろう。 (義)

2021年11月1日号
■音の中にも仏さま
「寒くなると、寒修行の太鼓の音を思い出すねぇ。あの音を聞くと『出てこい、出てこい、家から出てこい。法華の太鼓のお通りだい!』って聞こえる」。近くの他宗のお寺の前住職との会話で、そんな話が出た▼「お宅の暮れ6つの鐘は夕焼け小焼けの歌じゃないけど『お手々つないで皆一緒に浄土に帰りましょ』って聞こえるよ」。「どうして?」。「夕日に合わせて鐘の音がゴーンゴーン(gone)って聞こえるもの」と笑いあった▼今は診療所になっているが、国道を挟んだ向こう側は大きな病院だった。入院した檀徒を見舞いに行くと「お上人さん、朝の唱題行の太鼓の音が聞こえてきてねぇー。その音が早くなったり遅くなったりするのが、心臓の鼓動のように感じてね。早くよくなりますようにと、素直に手を合わせるのよ。ほかの入院患者でも手を合わせる人がいるよ。昇る朝日を拝むのは気持ちがいいねぇ」と話したのを思い出した▼昔は、音で神仏の存在や季節、時間の流れを感じとることができたのだ。今は寒行の太鼓も暮れ6つの鐘も騒音公害と言われるのを気にしなければならなくなった▼日蓮聖人は聖地身延山で「吹く風もゆるぐ木草も流るる水の音までもこの山には妙法の五字を唱えずということなし」と感じとっておられた。現代に生きる我々は、その感受性を失ってしまったのだろうか。 (雅)




















