鬼面仏心
2016年11月20日号
その場の雰囲気や状況を察することを「空気を読む」という
その場の雰囲気や状況を察することを「空気を読む」という。場の空気を読み、その状況に適応した行動がとれるかどうかは日本の社会ではとても大事だ。逆に「KY」という「空気の読めない人」は能力があっても嫌われる▼東京築地の豊洲移転問題。盛り土されているはずの地下が空洞で汚水がたまっているという。当初の計画を変更する重大な決定を「いつ誰が決めたのか」。小池都知事が得た答えは、特定の誰かではなくその場の「流れ」や「空気」だったという▼2倍3倍に膨らんだ東京五輪開催の経費。そんな大幅な予算変更が「社長も財務部長もない状態」の中で決められたという。決めた人の特定もできない状況で重大な予算や物事が決まっていく怖さ▼「場の空気を読む」ことは大切だ。しかし「空気」には何の根拠もない。あるのはただ「何となく」ということだけ。山本七平氏は『「空気」の研究』の中で、日本人はその場の「空気」で物事を判断し、第2次大戦もそんな中で決まったのではと述べている。豊洲市場や東京五輪の問題はまさに「空気」が生んだ日本的悲劇では▼鎌倉時代、そんな「何となく」にノーと言った方が日蓮聖人だ。物事の是非善悪を判断するには「智慧」が大事。真の仏教は「空気」ではなく「智慧」で判断すべきとした聖人は、こうして法華経にたどりついた。「空気」に動かされない聖人の智的信仰の系譜を大切に継承したい。(義)
2016年11月10日号
ランドセルに定期券をぶら下げてバス通学
ランドセルに定期券をぶら下げてバス通学をしている娘。遠足の翌日、リュックからランドセルへ定期券の付け替えを忘れて出掛けてしまった。バスの中で気付いた娘は、オロオロ。すると見知らぬ女性が心配して声をかけてくれたという。そしてバス代を立て替えてくれたというのだ。しかも手持ちの小銭がなかったらしく、わざわざ両替をしてまで。おかげで娘は無事にバスを降りることができた▼バス代はもちろんのこと、「大丈夫」と向けてくれた笑顔に娘がどれだけ救われたか知れない。不安でいっぱいだった娘に声をかけてくれたのはまさに菩薩さまだろう。そして助けられた娘の心には、人を思いやる慈悲の種がそっと根付いたはずだ▼何気ない毎日でも、私たちはたくさんの種を頂いて生きている。行き詰まった時の励ましの声、さりげない「元気?」の一言。名前も知らない誰かの笑顔。そんな皆への恩返しは、頂いた種を配ること。娘もいつか誰かに慈悲の種を分けてあげられる日がくることだろう▼さてそれから毎朝、110円と手紙を持ってバスに乗るが不思議なほど会えないでいる。「会えないことにも意味があるのかもしれませんね」と担任の先生。すぐ会えると思っていたが、めったに巡り会えない…そんな人に助けて頂いたということだ。「今日こそ会えるよ♪」と送りだす。願い続けていればきっとまた出会えるはずだ。(蛙)
2016年11月1日号
先祖供養をどう理解したらいいのでしょうか?
「先祖供養をどう理解したらいいのでしょうか?」教職についている檀徒からの質問だ。お寺参りに熱心だったお母さんの供養の日だった。「ここはきっちり理詰めで説明して納得してもらわないと後の供養が続かないだろうな」と私は考えた。現代社会は、生きている人間に都合良く合理的であれば良いという方向に流れ、亡くなった人との対話が次第に欠落してくるからだ▼彼は田舎に住み、代を重ねた旧家である。「家族が何代にもわたって同じ家に住む意味は大きいですよ。同じ空間に親がいて子どもがいて、親が死んだ後、子どもが同じ道具を使い四季折々の行事をする。気がついたら自分も親と同じ生き方をしている。死んでしまった人の日常を行っていくことが供養になると私は思います。供養ということは単純に言えばその人を記憶すること。その人が生きていたらするであろう振舞を繰り返すことが最大の供養になると信じます」。一応私の説得は功を奏した▼しかしこの論法が、後継者のいない家や、共同体が持っていた宗教性がなくなった都市部で成り立たないのは承知している。昨日より今日、今日より明日と、新たな刺激を求めて一歩でも前へという時代・環境が、昨日と同じ今日を生きるのが幸せという日常生活への還元力を越えていくからだ▼田舎に住む私は、街に住む檀家や跡取りのいない人に先祖供養をどう説こうかと悩んでいる。(雅)