鬼面仏心
2015年3月10日号
元気だけが取り柄の私だったが、
元気だけが取り柄の私だったが、昨年から体調不良が続いた▼幾度となく病院に行っても思わしくなく、藁をもつかむ思いである漢方薬のお店を訪れた。高麗人参や薬草が並び、独特の香りが漂う。火鉢を囲む椅子に案内され、私は症状を伝えた。すると店主のおじさんは穏やかに話し始めた。「人間の体の細胞はね、毎日三千億個も死んで、それと同じ数だけの細胞が生まれてくる。その中の一つや二つが他と違ったって不思議なことじゃない。最近はね、みんな自分の生活を振り返ることなく、医療や薬に頼りすぎる。病気になった時は、生活を見つめなおす時。悪い所はなかったかな? 気をつけることはないかな? って考える時。何かしら原因があるからこそ病状が現れるのだから。大丈夫、自分の体の〝治そう〟という力を信じて、この薬をお飲みなさい」▼何だか急に気持ちが楽になり、半分は治ったようにさえ感じた。薬に頼るのではなく、まず自分が変わること。そうだ、お題目も同じ。ただ唱えるだけではなく、仏さまを信じて、自身をちゃんと見つめることで、きっと仏さまは微笑んでくださるのだろう▼思い悩んだ時に足が向く場所…導かれるように身延山に出掛けた。するとその日を境に、すっと心身の雲が晴れていった。祖山の空気はいつも私を暖かく包んでくれる。もう大丈夫。桜の咲く頃、元気にお礼参りに出掛けよう。(蛙)
2015年3月1日号
赤いキャップの卓上醤油ビンから秋田新幹線の車両まで
赤いキャップの卓上醤油ビンから秋田新幹線の車両まで、幅広く設計した日本の工業デザイナーの草分け、榮久庵憲司さんが2月8日に亡くなった▼私が榮久庵さんを知ったのは、30年前に『仏壇と自動車』という奇妙なタイトルの本を手にした時だった。「もの」の意味の重要性を説く彼は、ものに心があるのを知り、ものの声を聞くことが大事だと語り、仏教徒である前に日本人は物教徒であれと主張した。ものは人の願いによって生まれいでたのだから、人がもの(道具)を粗末に扱うと人間の精神は貧しくなるという。道具の心を踏み躙ると、必ず災いが起こると戒める。今なお続く戦乱で使われる兵器、事故の処理で悩む原発の施設などを予見している▼その原点は、被爆直後の広島にあった。江田島の海軍兵学校生だった榮久庵さんは、後片付けのため広島に入った。父親が住職をしていた戒善寺は、爆心地から約500㍍に存在したはずである。しかし、そこには凄まじいまでの「無」があった。東京芸大図案科を卒業した彼は、無から有を生み出す。ものを作り出す工業デザイナーの道を選んだ。そして僧侶にもなった▼榮久庵さんはいう。仏壇こそ、心がかたちを求め、かたちが心を支える日本人のものに対する精神性を、あの小さな空間の中に表したものだと▼仏壇が粗末に扱われ、もし路傍に打ち捨てられるような時代が来れば、それは日本の危機だと。30年前に彼は警鐘を鳴らしていた。(雅)