鬼面仏心
2018年10月20日号
「客を何だと思っているんだ。」
「客を何だと思っているんだ。」電話の向こうから聞こえる怒鳴り声。悪口雑言が続いた、と知人が語る▼商売上の打合せで何日の何時に連絡すると約束した。そこでその時間に電話したのに応答はなく、日を改めてと思っていたところに、本人から電話があった。連絡がないのはどういうわけかと言うので、約束の時間にかけてもつながらかったと言った途端、凄まじい剣幕でまくしたてられたという▼自分が電話に出なかったことにはまったく触れず、まず連絡できなかったことを詫びるべきではないかと一方的にののしり、挙げ句は誰のおかげで生活できているんだ、客のお金があってこそだろうとまで言う。「悔しい、何とかあの人物をギャフンと言わせたい」と憤る彼▼瞋りは修行を妨げる三毒の1つであるが、その根源は自分こそが正しいと思い込むところにある。どう行き違ったのか、約束が守られなかったと非難する客。それに対し「ギャフンと言わせたい」と憤慨する彼。どちらも自分が正しいと思うから腹を立てるのである▼正義を主張し、その結果苦しんでいる人たち。これこそ修羅の世界である。どちらが正しいかと争っても互いに傷つくだけだ。正義の応酬より、手を取り合って助け合い励まし合う世界のほうがどんなにか素晴らしいことだろう▼どこかの国同士の争いも、まずどうすれば助け合えるか考えるべきである。(直)
2018年10月10日号
あかねさす紫野行標野行
あかねさす紫野行標野行 野守は見ずや 君が袖振る(額田王)。好きな万葉集の歌の1つだ。袖を振るというのは、当時は恋しい人の魂を自分のほうへ引き寄せるという恋の仕草であった。神の魂を奮い立たせ、呼び寄せるための儀式、「魂振り」からきているという。いわば「おいで、おいで」ということか▼手を横に振ると、「いってらっしゃい」となる。これも同じ意味合いで、手を振ることによって安全に旅ができるようにと祈ったのだという(知恵の森文庫『今さら他人には聞けない疑問650』)。因みに時代劇で出かけるときに火打石で切火をするのも同じ意味を持つ▼手を縦に振ると「手刀を切る」となる。相手に手のひらを見せることで、武器を持っていないことを示し、不安や緊張を与えないための行為といえる。相手の領域には入りませんよという意思表示といえる▼古来より口から出た言葉には現実にしようとする力が備わっていると考えられてきた。戦いに出る息子に、母親が言葉にする「いってらっしゃい」には「生きてらっしゃい(生きて帰れ)」という思いの丈が込められているとの説を聞いたことがある。母親の心からの願いを、ようやく絞り出した言葉と感じたい▼迎えるお会式には両手を合わせ、宗祖に「ありがとうございます」の思いを込めたお題目を、是非唱えてもらいたいものだ。(汲)